新選組の魂、近藤勇の墓。
近藤勇御廟の特徴
愛宕神社からのアクセスが近く、天寧寺の中にある墓です。
近藤勇の墓は、土方歳三が訪れた唯一の場所として知られています。
幕末の時代背景を感じられる、静かな山道を歩く参拝のスポットです。
近藤勇の墓は、会津武家屋敷から車で五分ほどの所にある天寧寺の駐車場から歩いて十分ほどです。山道なので頑張ってあるきました。
愛宕神社にあります。グーグルマップだとお隣のお寺に誘導されましたが、行けない気がする。愛宕神社は石段段差があり、途中の看板の意味を理解できたなかなかの破壊力でした。(お墓は流石に撮影しません)
たまたま住職の方がいらっしゃって、許可をいただいて、見てきました。熊に気をつけて音楽を聞きながら、ちょっと登りました。静かで幕末に思いを馳せることができました。
会津戦争の際、新撰組副長・鬼の土方こと土方歳三が局長・近藤勇の遺髪などを仮埋葬しのちに墓石も建てたと言われる墓所。4/25の近藤勇命日には、墓前祭りが開催されるそうです。今とは比較もできない日本が真っ二つになり争った激動の時代、立身出世を果たし、時には英雄、時には朝敵とされ信念の元散っていった2人の人物。平和とも言われる現代の会津・日本を彼らはどう見ているのだろうか。そんな想いに耽る歴史の浪漫と儚さを感じます。
会津若松には良く来ていましたが、此方には初めて訪問いたしました。会津藩ゆかりの新撰組、局長、副長のお墓が並んでいます。(諸説あるみたいですが…)天寧寺さんのお墓の中を裏山に向かって登って行くような感じになります。この天寧寺さんには会津戦争の責任を一切背負って自害した会津藩家老、萱野権兵衛や同じく会津藩家老の田中土佐(田中家代々)のお墓もありました。勇のお墓には途中地元の方々のご厚意で作成された看板もあり迷わずに行けました。10分位でしょうか。勇の命日からさほど経っておらず墓前にはお花が添えられていました。幕末から悲惨な会津戦争へ…、激動の時代に会津藩支配下として最後まで会津藩に従い「誠」の旗の下戦った土方歳三のお墓と並んでいるのは本当に感慨深いです。お二人は今のこの日本という国をどうみているのでしょうか…。若松城下が見えるこの場所でゆっくり眠って欲しいと思うばかりでした…。
駐車場から徒歩7、8分です。山道の為、夏はサンダルでの訪問はおすすめしません。ご注意下さい。
通常の墓地の一画にあるのでマナーを守ってお墓参りに行きましょう。山の中腹にあるので到着するまで坂道をしばらく歩きます。動きやすい服、歩きやすい靴をおすすめします。
板橋で斬首された近藤勇(の首)がはいっている?と伝わり、ひっそりとお墓がありました。
かっちゃんととっしーのお墓。結構登りますのでご注意を。毎年ちゃんと手入れされているようで人気の高さが窺えます。最期は切腹もして一時期賊軍扱いにもなりましたが、100年以上後世でこうして手厚くお墓を手入れして貰えてるのは幸せかと思います。
名前 |
近藤勇御廟 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0242-26-3906 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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天寧寺の境内にありますが、本堂からはそこそこの距離があり、むしろ愛宕神社からのアクセスの方が近いです。ただし愛宕神社自体へ着くのにかなりの階段を登る必要があるので、緩やかな登り道で天寧寺から距離をかけて行くか、急な階段で愛宕神社から行くかの二択となります。自分は行きは天寧寺側から登り、帰りは愛宕神社側から降りました。近藤勇の最期については資料により違いがありますが、一般的には流山で捕らえられ板橋で斬首、京都の三条河原で梟首されます。その後の首の行方は確定していないそうです。実際にこちらのスポットの説明板には首が埋葬されているとの記載がありますが、山形県米沢市や愛知県岡崎市にも近藤勇の首を埋葬したとされる場所があります。ちなみに会津若松の公式観光サイトでは「土方歳三が近藤勇の遺髪を埋葬した」旨の記載があります。