墨坂神社で静かな初詣。
墨坂神社(八幡)の特徴
延喜式神名帳に記載された墨坂神社は由緒ある式内社論社です。
参道が長く静かな雰囲気の中、今も須坂市民に愛されています。
お宮参りは宮司さんの丁寧な対応でスムーズに行えました。
延喜式神名帳の信濃國高井郡の項に記載のある式内社論社。長野電鉄・須坂駅の南西、徒歩10分ぐらい。境内案内によると、大和の部族が移住して、宇陀の墨坂神社(№0955)より勧請したのが創祀。創祀の時期ははっきりしないが、白鳳二年(673)ともいわれると。その後、貞観二年(860)に京都の石清水八幡宮より八幡神を勧請し、墨坂神社八幡宮と称するようになったとのこと。当社は多氏系である科野国造の奉斎社といわれています。信濃國には畿内から勧請されたと思われる神社が他にもあって、上田にある生島足島神社もそうです。大阪の生國魂神社を中心に行われていた八十嶋祭は茅渟海を支配していた海人族の祭が起源とも考えられています。信濃には安曇野など海人族に因む地名が残っていて、多氏系とともに、海人族の移動もあったのでしょう。境内の案内にいう「大和部族の移動による勧請」とは多氏の移動かあるいは海人族の移動を示すものかもしれない。さらに言えば多氏は海人族なのかもしれない。創祀は白鳳時代より前ではないだろうか。では榛原にある墨坂神社と多氏あるいは海人族の関係はどうかというと、はっきりしないのですが、日本書紀の雄略天皇紀には「朕、三諸岳の神の形を見むと欲ふ。あるいは曰く、この山の神をば大物主神と為ふといふ。あるいは曰く、莵田の墨坂神なりといふ」とあるので、榛原の墨坂神社は三輪山の大物主神と同一とも考えられます。そして、榛原の墨坂神社の御祭神である墨坂大神には大物主神も名を連ねています。多氏かあるいは倭国造祖である椎根津彦命の流れを汲む海人氏族は三輪山の奉斎氏族なのでしょう。そういえば、神武東征の想定ルート上の地名は海に纏わるものも多く、同じ地名は信濃にも多いのです。それにしても、信濃国は畿内からの移動を色濃く示しているように思います。そういえば守屋も丁未の乱の後に、信濃に流れてきたという伝承があります。参道に「伊能忠敬測量位置」の石板がはめ込まれていました。伊能忠敬は1814年5月4日にここを訪れて、街道から神社の距離を測ったとのことです。
宮司さんが丁寧に対応いただき、スムーズにお宮参りができました。
参道が長く静かな雰囲気の須坂市民に今も昔も愛されている神社です。
御朱印もらいに行きましたが無人が多いので何度か通わなきゃかも??でもとてもいい神社です(*ˊᵕˋ* )
以外に町の中にありとても大きい神社です。春には桜並木が出来たりでいい感じです。七五三さんのお祝いから色々な行事を頼めばやって頂けます。涼しい新緑の中での憩いの場所です。なぜ生きるのバスは何故か停まってました。神社と関係があるのかも?
雨だった😣お参りする方々もいなかつた。存在感あり。厳か‼️
子供の頃は、木が生い茂っていて、薄暗いイメージでしたが、木が少なくなっていて、びっくり😲です。
名前 |
墨坂神社(八幡) |
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ジャンル |
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電話番号 |
026-245-5763 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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初詣は必ず墨坂神社です 今年の元旦はお天気にも恵まれましたのでいい年になるとイイですね。