智積院の本尊、大日如来に感動。
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個人的には5つ星では足りないくらいです。感動かつ興奮しました。
名前 |
幸祐寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0268-63-5703 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
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本尊 大日如来新義真言宗智山派(京都東山智積院(ちしゃくいん)末)天正(1590)から慶長年間(1606)にかけて、横山地籍に寺がすでにあったが、廃寺同様になっていた。延宝元年(1673)3月、山城国愛宕郡捕陀洛(ほだらく)村六波羅善門院の本堂25世福正房師開山し、これを復興したのが幸祐寺である。その後、横山の旧跡は、窪地のため寛保2年(1742)の大洪水に押流されて、今は、その跡かたもない。宝永3年(1706)の上田藩差出帳にあり、宝永年間(1704~10)のころ、現在地に移転再建されたが、嘉永5年(1852)10月3日に寺は火災により、現在の正門・庫裡・宝蔵及び過去帳(宗門帳は庄屋田中方に残った)だけを持ち出した。そこで庫裡の座敷を仮本堂とし、第14世法印快(かい)山師の時に東筑摩郡里山部村の兎(と)川寺(せんじ)から本尊として大日如来像を譲り受けた。明治19年(1886)、第15世秀快師の代に、檀家の努力により現本堂を再建した。門の東側に光明真言塔 高さ1.8m「南無遍照金剛」天保5年(1834)の銘がある。門の西側に 高さ1.6m「三界萬霊塔」がある。その北側には東西相対して「一石三尊の地蔵尊」の坐像がある。四脚門をくぐり石造「宝塔」納経塔で四周に胎蔵界大日如来「四天」が描かれ、明和8年(1771)8月吉日願主田中久福とある。「涅槃図」高さ290cm。幅170cmで正徳3年(1713)に描かれ、明治時代に海を渡って「ボストン美術館」に所蔵され、そのミニ版(220×150)がある。中国人の仏画家・唐(とう)寅(きん)による二幅の珍しい仙人画があり、当時の松本城主・松平忠周から拝領したもので「寛政□年再表・芳田康貞」の銘がある。仙人が背中に大きな蛙を背負い、力強い風貌をしている。