伊達政宗の終焉の地、歴史を感じる。
伊達政宗終焉の地の特徴
日比谷公園内に位置する史跡で、散策の途中に訪れやすい場所です。
仙台藩の外桜田上屋敷があった歴史的なスポットです。
伊達政宗が江戸参勤中に生涯を閉じた地として知られています。
ここの場所は、仙台藩外桜田上屋敷があったと言われています。江戸時代、全国の諸大名は幕府より江戸城下やその周辺に広大な居住地を与えられ、藩邸を設けていました。仙台藩江戸屋敷は、仙台藩伊達政宗が徳川家康より江戸屋敷を与えられたのが最初とされており、その際に与えられたのが外桜田上屋敷は、政宗から3代目綱宗の時代、慶長6年(1601年)から寛文元年(1661年)までの上屋敷(大名が江戸で居住し、政務を行った屋敷)として、使用されました。その敷地は東西は心字池西岸から庭球場東側まで広がっていたとも推定されています。政宗の時代には徳川家康が3度、2代目将軍秀忠と3代目家光はそれぞれ4度ここを訪れ、もてなしを受けたことが記録に残っています。また、政宗は、寛永13年(1636年)5月、ここで70年の生涯を閉じました。
ガイドパネルによれば仙台藩の「外桜田上屋敷」として、伊達政宗から3代綱宗の時代、慶長6年(1601)から寛文元年(1661)の60年間使用された。東西は心字池西岸からテニスコート東端、南北は日比谷掘り沿いの道路から小音楽堂付近まであったという。政宗は寛永13年(1636)5月にこの屋敷で没している。日比谷公園の北東端が、そのまま上屋敷の北東端に当たる(ガイドパネルの設置場所)。地下鉄日比谷駅近くの有楽門から公園に入り、直進すれば左手に日比谷見附門跡、その先の右手に上屋敷跡の表示がある。芝地に大きな石がいくつか置いてあるが、説明がないので、上屋敷にあったものかどうか分からない。ちなみに現存する日比谷見附門の石垣も政宗が手がけている。
日比谷公園を散策中に「伊達政宗終焉の地」という場所がありました。立札に説明文があったので下記に掲載します。【仙台藩祖 伊達政宗 終焉の地】ここは、仙台藩祖伊達政宗から三代綱宗の時代、仙台藩の外桜田上屋敷があったところである。 慶長六年(1601年)、 政宗は徳川家康より江戸屋敷を与えられ、外桜田の屋敷は寛文元年(1661年)まで上屋敷として使用された。その敷地は、東西は心字池西岸から庭球場東端まで、南北は日比谷堀沿いの道路から小音楽堂付近ま で広がっていたものと推定される。政宗の時代には、徳川家康が三度、二代将軍秀忠と三代将軍家光はそれぞれ各四度ここを訪れ、もてなしを受けたことが記録に 残っている。政宗は江戸参勤の折、寛永十三年(1636年) 五月、ここで七十年の生涯を閉じた。
日比谷公園をぶらぶらしていたら看板を見つけました。亡くなる最後まで横臥しなかったのだろうか・・
仙台藩主伊達政宗は参覲交代でこの場所に所在している時にお亡くなりになりました。将軍からの信頼も厚かったようで何度も歴代将軍が伊達政宗邸を訪れていました。小音楽堂までが伊達政宗の敷地と考えると相当大きな場所だったのだと想像ができます。(以下抜粋)ここは、仙台藩主伊達政宗から三代網宗の時代、仙台藩の外桜田上屋敷があったところである。慶長六年(1601年)、政宗は徳川家康より江戸屋敷を与えられ、外桜井田の屋敷は寛文元年(1661年)まで上屋敷として使用された。その敷地は、東西は心字池西岸から庭球場東端まで、南北は日比谷堀沿いの道路から小音楽堂付近まで広がっていたものと推定される。政宗の時代には、徳川家康が三度、二代将軍秀忠と三代将軍家光はそれぞれ各四度ここを訪れ、もてなしを受けたことが記録に残っている。政宗は江戸参勤の折、寛永十三年(1636年)五月、ここで七十年の生涯を閉じた。
日比谷公園散歩してたら急に出てきてビックリ。仙台出身おじさんとしては目が止まっちゃうよね。独眼竜が身近に感じられた。一瞬だが400年という時間に物思いに耽られた。
仙台藩の外桜田上屋敷があり、伊達政宗が江戸参勤のとき、1636年5月、70年の生涯を閉じたそうです。仙台藩、GoogleMapでは「仙台藩上屋敷跡」としてでてきますが、ここ日比谷にもあったのですね。江戸時代でもいろいろ動きがあるでしょうからわかりませんが、私が見た地図では、この位置には萩藩の屋敷があったものでした。
場所は日比谷公園の中に有り、戦国武将である政宗は豊臣秀吉から三代将軍、徳川家光まで仕った。特に家光の信頼は厚く、ここの上屋敷に伏しているときに家光が見舞いに訪れている。信頼を得たのは、家光が参勤交代を発布したときに、政宗がいち早く「命に背く者あれば、政宗めに討伐を仰せ付けくだされ」と申し出たため、誰も反対しなくなったと言われている。享年70歳でこの地で亡くなっている。また、幼少時に患った天然痘により右目を失明したことから、「独眼竜政宗」で有名である。
名前 |
伊達政宗終焉の地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3501-6428 |
住所 |
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HP |
http://www.city.sendai.jp/tokyojimu/shise/tokyo/masamuneko/kamiyashiki1.html |
評価 |
3.8 |
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三代将軍徳川家光が見舞いに訪れるほど、伊達政宗の存在感は晩年まで大きかった。政宗は病気で衰えた姿を家族に見せたくないという意志から、妻や娘との面会も許さなかった。最後まで戦国武将としての美学を貫いた。