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名前 |
放牛石仏(77体目) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
彫りが浅いが、刻まれているのは七十七体 佗力放牛 享保十五庚戊年五月 グレゴリオ暦だと1730年の6月頃の造立だ。江戸期の木山往還からこの北側にあった古閑村の入り口にあたる(木山往還は猫伏石に至るルートだな)放牛石仏のオーソドックスな形の一体。放牛さんは古閑村に祭事を伝えにきたときく。地震で光背がわれたようで修復のあとがある。益城にはここと、谷川(たにごう)の二体の放牛石仏がある。古閑村は西南の役こときの城東会戦にも薩兵がいたとあるから、たぶん古閑村の南側の木山往還への出口なので、このお地蔵さん、西南戦争をみてる。