明治創建、神玉依姫命の祈り。
二宝満宮の特徴
二宝満宮は二区の氏神様として親しまれています。
階段が急で登る際には注意が必要です。
明治五年に村社に定められた歴史があります。
階段が急。夏は蚊の対策をして行った方が良い。
村社 寳満宮 朝倉郡夜須村大字二字堤の上祭 神玉依姫命由 緒不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。例祭日舊九月九日主なる建造物神殿,渡殿,拝殿境内坪数三百六十坪氏子区域及戸数二 戸数三十戸福岡県神社誌 中巻─────────────────────────────────────────────────宝満宮由緒略記主祭神 玉依姫祭礼日 九月十九日境内地 夜須町大字二字古野八番地 二,一五三平方米本神社は,寛文五年(西暦一,六六五年)九月十九日に建立されました。この地には,むかし十三塚が東西に並んでいましたが,それを崩して寛文元年に町を作り村名も十三塚と称していました。はじめ,町の南側は夜須郡に属し,北側は三笠郡に属していましたので,これを一村とし,二村(フタムラ)と称するようになりました。今は全て夜須郡に属しています。その後,寛文五年,山家宝満宮を勧請し,産土神として祭り,今日に至っています。「大日■(「需」の下に「女」)貴」享保十一午丙年十二月吉日大日■(「需」の下に「女」)貴命(一七二六)「手水鉢」享保七年四月氏子中(一七二二)原平右衛門世話「猿田彦」享保十一午丙年十一月吉日猿田彦大神(一七二六)「鳥居」文政八年四月氏子中(一八二五)「石灯籠」文久二年一個〔一八六二)建記 大正十二年 昭和四十三年 平成四年境内掲示板─────────────────────────────────────────────────鳥居:「文政八酉年 八尋伊右衛門」「寳満宮」「四月吉祥日 氏子中」境内祠:「正一位志賀姫大明神」
| 名前 |
二宝満宮 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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二区の氏神様。大宰府にある竈門神社の分社。小さい神社だがとてもパワーが強い。