生まれ出ずる神社でパワー充填。
生出神社の特徴
国道139沿いに位置する歴史深い生出神社です。
毎年9月1日の八朔祭りが行われる場所です。
独特な形の拝殿とふかふかの境内が魅力です。
国道139(冨士みち)沿いにある。看板はないが、駐車場は冨士山側に少し行った空き地が駐車場。創祀は、諏訪大神を祀った歴史ある神社。この地の藩主が祈願したところ子宝に恵まれ、諏訪→生出と改名。子宝祈願にはバッチリ👍🏽
歴史の重みめっちゃ感じた神社クルマ停める場所など有りません近くに停めて徒歩での参拝お勧めします。
静かな神社⛩毎年9月1日の八朔祭りはココのお祭りです😊会場の中心が谷村陣屋跡の方で離れているので実感が無いかも🥺お神輿等提灯には生出神社と書いてあります😁
とてもパワーのある神社です。毎年初詣はここと決めております。
ふかふかの境内。
生まれ出ずる神社...これから生まれてくる命に関わる神社ということかな。とても未来志向な神社でいいと思います。大木が何本もあって、とても落ち着ける場所です。
拝殿が少し変わった形の神社です。本殿は緻密な彫刻で彩られています。
若干雪が残る時期に参拝しました。駐車場等は見当たらないので、車で向かうのは難しいと思います。特徴的な何かがあるわけではありませんが、逆に静かで落ち着けます。
名前 |
生出神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/7086 |
評価 |
4.4 |
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郷社 生出神社 南都留郡禾生村字四日市場鎮座❼【参考 生出明神 甲斐叢書 1935年】生出明神本殿古殿は 鳥居土佐守成次 造営なり。明和中(1764年~1772年) 再建し今の殿これなり。末社 5所【参考❷】。鳥居額字 寛政元年(1789年)12月 大炊御門徒一位内大臣家孝公所筆。例祭日 8月1日 神輿じゅんこうあり。四日市場、中島、瀬中、谷村、蛯澤、新井等の産神なり井倉村神主 兼帯する。[鎮座地] 都留郡四日市場村[祭神] タケミナカタのミコト(諏訪社の神)[社中除地] 縦26間 横3間[本殿および] 本殿 拝殿 庁屋[山林] 縦4間 横32間[社領] 4段2畝28歩❶【参考 生出神社の信仰 都留市史 より 1992年】生出神社も山頂に池をもつ山を中心とした信仰である。(現在ははげ山のようですが。)生出山(神社の南の山)の山頂の池には龍が住んでいるとされていた。【都留の民謡】によると、井倉の長者の家の“さき”という召使いが汚れた腰巻を生出山の池で洗った。このために、池の堤が崩壊して池の水が流出したという話が伝えられている。又、池の地続きを埋め立てた者のいえに白蛇が現れたという話も残っている。生田山の山の神は龍か蛇であって、諏訪の神にとして祀られたのである。池や井戸の埋め立ての結果、神の怒りがおちる。というのは各地に話は残っていますが腰巻を洗って、崩壊する池って。それだけ尊い神の地であったという事なのでしょうね。❷【参考 合祀されている神について 都留市史より 1992年】5社の境内末社が合祀(ごうし)されている。天神社・疱瘡神社・蚕影神社・風神様・大室神社。疱瘡神社・・石の祠で、天然痘対策の種痘の後にお参りをした。子供を守る神として祀られる。蚕影神社・・養蚕の神。祭りは現在ない。風神様・・風神講がおこなわれていた。風神様の掛軸があり、もちまわりで祭ってきた。いまは行われていない。大室神社・・何も伝わっていない。道志村にある大室山を祀ったものと考える。生出神社に天神様も合祀されている。天神講・・子供達の祭りであった。1月25日に 小豆粥をつくった。12月25日が天神講になっていた。宿で子供たちが歌や遊戯をした。天神様の旗を立てて上級生が先頭に立ち、“天神講はめでたいな”とうたって練り歩いた。組内15~20軒位でおこない、宿にかえりご飯を食べたという。❸【参考 生出神社の歴史 日本社寺明鑑より 明治37年】郷社 生出神社 南都留郡禾生村字四日市場鎮座常社は大寶3年(703年)癸卯年の勧請創立。明治5年郷社に列した。❹【参考 八朔祭り やまなしの民俗 より 1973年】甲斐の八朔祭りは、太平洋戦争前までは国中地方の雲峰寺の馬祭りと、郡内の都留市生出神社の大典が双璧であったようである。❺【参考 獅子舞 郷土研究資料より 1967年】生出神社宮元の四日市場の獅子舞は宿入、鈴の舞、幣の舞、下り花、狂の順序で行う。幣の舞にのみに次の歌詞をうたう。千早ふる 天の岩戸の始なり げに白妙の御幣をもって いざや神楽をまいらす 悪魔を拂う そこでらくのう。