長谷山寶泉寺、静けさの中で癒しのひととき。
宝泉寺の特徴
長谷山寶泉寺は静けさと佇まいが際立つ癒しの場所です。
創建500年を誇る曹洞宗の歴史ある寺院です。
清掃が行き届いた桶や水くみ場が備わっています。
曹洞宗・永平寺系列のお寺です。
この場所にあると思えない静けさ、佇まい、広さ、綺麗さです。
綺麗に掃除が行き届いていて、桶や杓子、水くみ場もある。お線香のゴミが出てもゴミ箱あり。
綺麗にお手入れされており癒される場所でしたお寺さんとはお話しできませんでしたが機会があれば聴きたいです。
お寺で家賃払いは毎月やってます。
山門から一歩境内に入ると、静かで心が落ち着くような気がします。
現地調査した、感じいいよ。
天台宗の僧侶?別の宗派?
長谷山寶泉寺は永正五年(1505年)に間宮信冬公、或いは間宮信盛公が中興開基と成った曹洞宗の寺院。間宮康俊公の御位牌が安置されている寺院。間宮信冬公、間宮信盛公の間宮家は戦国時代の北條家臣で相模十四騎筆頭に挙げられた家。間宮家は近江国の宇多源氏佐々木家の分家で、初代鎌倉公方の足利基氏公の家臣を経て、鎌倉府の消滅後は伊勢盛時入道宗瑞(北條早雲)公に使えた一族。伊勢盛時公が韮山城主と成った伊豆入国の際に従い、扇ガ谷上杉家との権現山合戦での間宮彦四郎の活躍し世に武名を知らしめた。間宮家は陸戦以外にも宮司家出身、水軍、築城集団、鷹匠等の特異な技能を持つ集団であり、その経歴と合戦での実績から玉縄北條家の付家老と成った。玉縄北條家の地黄八幡こと北條綱成公~北條氏繁公~北條氏勝公の三代に与力した間宮康俊公と間宮康信公、北條氏照公に与力した間宮綱信公、北條氏康の直臣の間宮信繁公等は特に鶴岡八幡宮の再建を始めとした寺社の再建、合戦や諜報、外交、築城で功績を残した。豊臣秀吉の小田原攻めの際に、間宮康俊は城将の松田康長と共に箱根山中の山中城で手勢200ばかりを率いて籠城、秀吉の先鋒豊臣秀次率いる26000の大軍を迎撃し秀吉配下の大名、一柳直末を討ち取る等活躍し玉砕した。この間宮康俊公の活躍と、北條家の外交官を務めた間宮綱信公が徳川家康公と直接面識が有った事により、北條家の改易蟄居後は間宮一族の多くが徳川家康公の直参旗本に取り立てられた。特に間宮康俊公の娘の於久は徳川家康公の側室となり一女を産み、嫡孫の間宮直元公は本牧奉行・但馬奉行・佐渡奉行に取り立てられた。間宮直元公は大坂城の総堀を埋めたて城を無力化する作戦を家康公に献策した人物。
| 名前 |
宝泉寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
045-581-3528 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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長谷山寶泉寺。曹洞宗の古刹です。墓地へ上がる階段の下に石仏群があり、右野みち左てらを道と読める地蔵型道標を見つけました。舟型光背の如来像も佳いお顔です。