西新の紅葉八幡宮の神社。
杉山稲荷神社(紅葉八幡宮旧境内末社)の特徴
霊験あらたかな神社として知られています。
西新の街中に静かに佇む小さなお社です。
大正初期までの歴史ある境内社があります。
西新の街の中に佇む小さなお社ですね。かつてはここに今は藤崎にある紅葉八幡宮があったそうです。なんとなく散歩をしていたらここを見つけました。大きくカーブした、たくさんある赤の鳥居の中を歩いて参拝させていただきました。大きな神社もいいが、こういうこじんまりした神社もいいなぁ。
数年前の初午の日(お祭りの日)に参拝すると氏子さんが沢山いらしてました。お神酒や紅白のお餅もいただきました。御朱印はいただけませんでした。(お世話をされているのは氏子さん達で神職さまは祭事の時しか来られないとのことでした)
杉山神社の方は、大正初期までこの地にあった紅葉八幡宮の境内社だったという。紅葉八幡宮は江戸時代初期の1666年(寛文6年)、黒田藩3代藩主の光之によって西新に移された神社で、藩から神領として100石が与えられていた。100石とはたいした数字ではないようだが、貝原益軒の『筑前国続風土記』によると、黒田藩内では太宰府天満宮の1971石、筥崎宮の518石を別格にして、桜井神社(現在の糸島市)の201石、宗像大社の133石に次ぐ。住吉神社、香椎宮(いずれも30石)よりもずいぶん上で、格式の高い神社だったことがわかる。明治時代後期、紅葉八幡宮境内の一角を路面電車が走るようになり、喧騒を嫌って1914年(大正3年)に現在地の早良区高取に社殿を移したが、杉山神社だけは西新にとどまったという。なお、『筑前国続風土記』には紅葉八幡宮の末社として印綸大明神、松河原大明神の二つが記されているが、いずれも近隣には残っていない。あるいは、どちらかが杉山神社の前身かとも思ったが、高取移転の際に紅葉八幡宮本体に合祀されたようだ。
| 名前 |
杉山稲荷神社(紅葉八幡宮旧境内末社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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