西公園の加藤司書像を訪れよう。
加藤司書公銅像土台の特徴
西公園の散歩コースに位置する、加藤司書公の銅像魅力が光る場所です。
筑前勤王党を率いた加藤司書公の歴史を感じる貴重な史跡です。
銅像の台座が遺されており、歴史的価値を実感できるスポットです。
西公園の散歩コースにひっそりとある銅像です。 台座しかないので当然かもしれませんね。 この方の事は福岡の小学校、中学校くらいは教えておけばいいのにと思いました。
筑前勤王党を率いた福岡藩家老 加藤司書公の銅像があった台座だけが遺されています8月18日の変で京都を追われた7人のお公家さん。これを、七卿落ちといいます長州にいましたが、バラバラの藩に預けられそうにあるのを、苦労して太宰府の参道の突き当たりにある延寿王院に迎えましたその4ヶ月後、乙丑の獄により、筑前勤王党は、幕府に配慮した藩から断罪され、加藤司書は、命を落とします。維新という言葉は、明治新政府によって、明治3年に新たに創られた言葉であり、それまでに使われていたのは、御一新でした。すなわち、西郷隆盛も高杉晋作も、坂本龍馬も、加藤司書も御一新を目指して活動したのです。維新を目指した、西郷隆盛ではなく、高杉晋作ではなく、坂本龍馬ではなく、御一新を目指した、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬なのです。加藤司書公の銅像は、戦前の供出でなくなりました。加藤司書公の名前は、戦後、福岡市からは忘れ去られて、今は、市役所の観光や歴史担当者からも忘れ去られて、先日、江戸時代に建てられて、遺されていた、屋敷も売却され、マンション用地になりました。市議会議員に陳情したら、「加藤司書って誰?なんで遺さないかんか、わからん」と言われたそうです。銅像が再建され、薩長同盟の皆様からお参りいただけますように、祈念いたします。
名前 |
加藤司書公銅像土台 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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加藤司書のことは、本日初めて知った。幕末の勤王派の武士で、黒田藩の中老の要職を代々勤める名門の出であるが、幕末の揺れ動く政争の中で非業の死をとげている。享年36歳。その死を惜しんで西公園に立派な銅像が建てられていたが、先の大戦で像は供出されて、今は台座と顕彰碑が残るのみである。それにしても立派な土台で、何とか像も復元できないものかとふと考えていた。