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享保4年(1719年)8月に朝鮮通信使の申維翰がここに上陸したよう。宿舎はこの上の阿弥陀寺であったようだが、その往来記録『海游録』には「茶屋」が宿舎に充てられたとも。往時はこの上関に白壁に青瓦の二層の楼があり、その美しさに「俗世のものとは思えない」と書いている。それはそれとして附近の町並みを巡ると海辺の町らしい、家々が肩を寄せ合うかのような、そして昼下がりには人通りもない静謐な時間が現れる。実際この暑さであり、みなさん寝ているのだろう。なのでこの街下は夢なのであり、そんな夢の中を自分はふわふわと歩いているかのよう。そうして坂を上がれば島の反対側に抜け、遥かな青い海が見えて実にゆかしい。さらに山を廻って戻ると緑蔭の眼下にはかつて通信使も通った海峡をまた船が静かに通過していくのを見るのである。