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名前 |
小方謙九郎家墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
小さな公園の裏山に墓所があります。・小方謙九郎弘徳(おがた けんくろう ひろのり)(天保6年1835年〜大正2年1913年)小方謙九郎は、都濃郡栗屋村(現 周南市栗屋)の庄屋 温品良左衛門の二男として生まれ、萬延元年(1860年)25歳の時、室津村(現 上関町室津)の小方市右衛門の養子となりました。幕末には、馬関攘夷戦(下関戦争)、四境戦争大島口で活躍しました。明治になってからは、室津にもどり回漕店や汽船宿などを営み、擬洋風木造四階建ての美しい「四階楼」を建てました。また、室津村の第一回村会議員を務めるなど郷土の発展にもつくしました。※回漕=船舶によって運送すること。なお、わが国にスキーを紹介し、民間航空の発展につくた、立派なお髭で有名な長岡外史(1858〜1933)は謙九郎の実子です。・小方市右衛門(おがた いちえもん)小方謙九郎の養父、小方市右衛門惟温は、平生の弘道館で学び勤王の志が篤い人でした。吉田松陰、海防僧月性、周布政之助らと王政復古や攘夷のことなどを計画し奔走した傑物でした。安政5年(1858年)吉田松陰を訪ねた市右衛門に、松陰は木刀に詩を揮毫(きごう)し市右衛門に贈りました。その詩を刻んだ石碑が市右衛門のお墓の横にあります。※揮毫(きごう)=筆で書画をかくこと。