河越流鏑馬と歴史の息吹。
国指定史跡河越館跡(史跡公園)の特徴
河越流鏑馬が秋に開催され、歴史を感じることができる場所です。
平安末期から南北朝期に勢力を誇った河越氏の遺構が楽しめます。
国指定史跡の川越館跡は広々として、当時の説明が充実しています。
先日(11月19日)に河越流鏑馬が開催されていました。ふだんは空き地のような佇まいですが、史跡での流鏑馬はなかなか風流でした。
鎌倉時代の武蔵国政庁が公園として保存されています。駐車場も広いですが、入口の路地が狭めなのでご注意を。
とても広く、あちこちに当時の説明がある。休憩所やトイレあり。ここの娘さんがあの源義経の正妻だと初めて知った。昔なので女としか書かれてないが…。
名門河越氏の遺構として、住宅街にしていない川越市の心意気に感謝です。扇谷上杉家と山内上杉家の攻防戦も、もっと歴史的にクローズアップされる時代がきてほしいです。
平安末期から南北朝期に勢力を誇った河越氏が居を構えていた場所です。現在見られる遺構は室町・戦国期のものとされています。
駐車場が充実している。
くさっぱらだけど、そこが、兵どもの夢の跡っぽくて、イイ!
鎌倉時代の武士、河越氏の館跡として整備された歴史公園。中世武士の暮らしぶりが分かる貴重な遺跡ということで国の史跡にも指定されています。当時の堀の跡、道路の跡などが復元されています、また案内も充実していてなかなか興味深い史跡なのですが、興味がない人にはただのだだっ広い野原にしか見えないかも。
この館の主人は平安末から室町初期まで河越氏、河越氏が平一揆で敗れた後、勝者側の管領山内上杉が接収しました。上杉の本拠地は北武蔵から上州でここは鎌倉と本拠地をつなぐ要所で、役所のようなところであったとおもわれます。やがて上杉・京都公方と関東公方との争いが始まり関東が戦乱の時代に入ると、平地のこの地点は戦時拠点としては弱いので3キロほど南の赤間川(新河岸川)に沿った丘陵地に同盟者の扇ヶ谷上杉が軍事的な城を作ります。これが現在の川越城です。この河越館は河越夜戦の後この地が小田原北条の完全支配下になると存在価値がなくなったのと思います。
名前 |
国指定史跡河越館跡(史跡公園) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
049-224-6097 |
住所 |
|
HP |
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/smph/kurashi/bunkakyoyo/bunkazai/shisekikoen.html |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

ウッドチップが敷いてありワンちゃんの散歩に最適です。