天草丸跡から細道をのろのろ行き、2~3分で着く。
名前 |
島原・天草一揆供養碑(天草代官 鈴木重成建立供養碑) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.minamishimabara.lg.jp/sekaiisan/kiji0034735/index.html |
評価 |
4.0 |
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天草丸跡から細道をのろのろ行き、2~3分で着く。八幡神社の脇の道路が広いので、そこに車を停めさせて頂いた。島原・天草一揆供養碑は八幡神社の境内にあるというが、非常に見つけ辛い。大きな碑が直ぐに目に付くがこれは違う。供養碑はその左手の森の中を進んでいって、川向自治会公民館の脇にある。林に囲まれ、悲しそうにひっそりと佇んでいる。この供養碑を建てた天領天草の代官鈴木重成は、民を苦しめている年貢を減らすため、天草の四万二千石という算定石高を、実際に合わせ半減するように幕府に働きかけ、最後は江戸駿河台の自邸で切腹して訴えたことで有名な人物だ。一揆後代官鈴木重成が島原を訪れ、荒廃した原城付近を見て嘆き悲しみ、首塚と思われる付近に供養碑を建立したのも頷ける。尚、八幡神社の石灯籠の脇にも、国指定遺跡原城址の石碑が建っていた《2023.7.21訪問》