周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
大阪夏の陣で討死した安藤彦四郎重能(老中・安藤直次の嫡男)の菩提を弔うため、弟の安藤彦兵衛直重(後に直治と改名)が建立した砂岩製の供養塔。和歌山市指定文化財(史跡)。碑文に建立時期の記載はありませんが、寛永年間初頭(1620年代)の建立と見られています。重能は長福寺(大阪市平野区)に埋葬された後、三河国の安藤家菩提所(妙源寺?)に改葬されていますが、それとは別に、戦没池に程近い一心寺(大阪市天王寺区)に設けられた供養塔が西岸寺に移設されたもののようです。正面には重能の戒名(曜源院殿瑞光崇雲大禅定門)や願主(弟の直重)などが刻まれており、背面には「南無阿弥陀佛」とあったものと思われますが、剥落により「阿弥」の2文字しか確認することができません。