国宝十一面観音拝観、道明寺の魅力!
道明寺の特徴
境内は手入れが行き届き、楼門の二階に鐘楼がある珍しい梵鐘吊り構造が見どころ。
本日特別拝観で国宝の十一面観音様にお参りに行って来ました❗境内に入るといきなり道明寺のアイドルミーちゃんが出迎えてくれました😺素晴らしい仏像と大師堂の前にはワンコ🐕️の石仏もありました🙏
2024.11.18 急に寒くなる 国宝十一面観音コンプリート(辰年なので)拝観料500円 駐車場タダ。
禅寺も真っ青な行き届いた手入れのされた庭。国宝の十一面観音のご開帳は毎月18日と25日です。
菅原道真公を祀ったお寺です。小さな敷地ではありますが、非常に手入れの行き届いた厳かな雰囲気で良いですよ。
お詣りさせていただいたのは昼過ぎだったんですが、数人の方が境内におられましたが、涼を取られているようでしばらく滞在された後、本堂すら手を合わされることなく帰って行かれました。
蓮土山道明寺、宗派は真言宗御室派(仁和寺)の尼寺、★本尊の国宝、木造十一面観音立像の御開帳は毎月18・25日である。
無料の駐車場🅿🚙が有りました。今回訪問したときは【梅】が綺麗でした。本堂に安置されている仏像はとても繊細で写実的で、しかも間近で見る事が出来良かったです😌
道真公を偲ぶなら…此処、道明寺ですねえ🎵良く手入れされた敷地は…当時の道真公の無念な気持ちを…掃き浄めている信徒さんの気持ちが伝わって来ます紅白の垂れ梅が立派なのですが年々衰えています駐車場8台⬜️山門右脇の由緒板より⤵️当寺は菅原道真公が信心をこめて自ら刻まれた国宝十一面観世音菩薩像を 本尊とする、真言宗の尼寺です。 仏法に帰依され心深かった聖徳太子が この地に尼僧の寺院を建立されるに当り、 代々仏教文化導入に積極的であった土師 という人が邸宅を寄進し東西三百二十米 南北六百四十米の広大な境内に五重の塔 金堂等をはじめとする七堂伽藍の完成を 見ました。これが当寺の前身土師寺で、その後菅原 道真公に依って道明寺と呼び改められる 処となり、数多くの仏像、教典美術工芸 品、薬品等を宝蔵しておりました。土師 氏の後裔菅原道真公が太宰府に下向され たるとき、叔母の覚寿を訪れて当寺に 立寄られ一首を残されています。啼けばこそ 別れもうけれ 鶏の 音の 噌からむ里の 暁もかな戦国時代に入り、高屋の兵乱に当寺も 焼失しましたが、之を惜しむ織田信長、 豊臣秀吉、徳川代々の将軍家等の庇護に よって復興成り朱印地に認められました 。明治五年神仏分離令に従って堂宇一切 天満宮境内より移 境内の拡張を経て大正八年には本堂の落成をみ多宝塔を加え建立以来千三百年法燈絶ゆることなく数少ない尼寺として現在に至っております。
かつてこの地は、菅原道真の祖先にあたる豪族・土師氏が支配していました。仏教伝来の流れから聖徳太子が尼寺建立を祈願すると、土師八嶋は私邸を寄進し、「土師氏の氏寺・土師寺」を創建します。ちょうど、土師神社(現・道明寺天満宮)の南に位置しました。当時は、豪華な伽藍も見られる大規模なお寺でした。後に土師寺は「土師氏の後裔・菅原氏の氏寺」となり、道真の叔母・覚寿尼が住職として住まわれます。道真は太宰府への道中、当寺へ寄って覚寿尼を訪ねると、歌を詠んで別れを惜しみました。道真の没後、ゆかりの地であった当地に自刻の像を祀って御神体とし、道真の号に由来する「道明寺」に名前を改めました。戦火による焼失や川の氾濫によって、道明寺が道明寺天満宮境内に移されると、両者は一体化していきます。しかし、明治の神仏分離令によってお寺と天満宮は別々に離され、道明寺は現在の地に移転しました。和菓子の材料である「道明寺糒」「道明寺粉」発祥のお寺としても知られています。
名前 |
道明寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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国宝十一面観音像の公開日に、葛井寺千手観音像を拝観した後に参詣しました。法華寺十一面観音像とよく似た作風の美しい檀像彫刻ですね。黒光りしていらっしゃる御本尊を、葛井寺千手観音像よりも間近に拝観できてとても感動しました。道明寺といえば桜もちということで、期待していましたが、どこにも和菓子屋さんはありませんでした。