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名前 |
紀州藩塩田跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
和歌川下流一帯では古代より製塩が営まれていたとされ、江戸時代には「他所に比例するものなし」として紀州藩の内外に供給されたという。明治時代末期までは見渡す限りの塩田が広がっていたというが、明治42年(1909年)に紀三井寺競馬場が開設されるなどして姿を消した。昭和63年(1988年)の競馬場廃止後、和歌山市七番丁にあった和歌山県立医科大学が跡地に移転し、現在に至っている(航空写真で見ると競馬場の外周がほぼ残っていることが見て取れます)。なお、このように塩田跡の記念碑はありますが、競馬場跡であることを示す案内板などはありません。