雲仙普賢岳で防災体験。
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たどり着けませんでした。基本整備されていないようですので、観光で訪れるような場所ではない感じです。慰霊の場所というより、忌まわしき記憶の場所という印象を受けました。まあマスコミが頑として避難しなかったせいで、地元の人たちも巻き添えで亡くなってしまったわけですからね・・・近くの道から手をあわせるにとどめました。
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名前 |
上木場火砕流被災遺構「定点三角錐」 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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島原半島ユネスコ世界ジオパークに登録されている、雲仙普賢岳大火砕流で被災した災害遺構を巡る防災ジオツアーに参加した。1991年6月3日に発生した大火砕流で43名の尊い命が失われた事は、31年過ぎた今も脳裏にハッキリと焼き付いている。定点と呼ばれる本来の場所より、少し左側を降りた場所付近であり、今は草木に覆われて想像出来ないが、普賢岳を正面に見る最適のアングルである事は、そこに立てばよくわかる。地元の消防団員12名、一般の方6名、火山研究者3名、長崎県警察官2名、タクシー運転手4名、報道陣16名が内訳だが、その背景におられた家族の方々も悲劇に巻き込んでしまう。仰ぎ見る普賢岳は、今日も畏怖の姿を大きな姿で見せていた。私も31年前にこちら島原で撮影に関わる仕事で頻繁に来訪していたが、直接普賢岳に関わる仕事ではなかったが、島原に滞在中火砕流が発生すると市内のサイレンが鳴り響く。街には、常に緊張感があり降灰があれば、街並みもどんよりとした光景だったが、島原から離れて1週間後にこの大火砕流が発生した。また、直接の関係は短期間だったが、この火砕流で亡くなった方1人と仕事をさせて頂いた事もあり、慰霊碑に刻んである名前を見た時、あの時若造だった私を叱咤激励してもらった方を思い出し、31年前に戻った感覚だった。ここは、通常立入禁止であり慰霊の場所でもある為、興味本位だけで行く事は、厳に慎まなければならない。その当時の、この地で暮らした方々の生活の歴史があり、また生活記憶が残る場所。そして、多数の方々が亡くなった場所でもある。自然の力の素晴らしさ、大きさ、凄さ、怖さを知る場所としては、学ぶものは多々ある。これを機に、報道陣の取材姿勢に安全と法令遵守を高める流れがあり、今の報道コンプライアンスの一つともなっている。合掌。