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郷獅山石窟仏(以下はお堂の入り口に掲示されている案内を写し取ったもので、*1,*2,*3は追記)この石仏は、平安期(*1)以降、密教と山岳信仰が結びついて 修験道が成立、岩壁を洞窟のように穿(うが)ち、その中に仏像を彫る石窟仏と呼ばれる仏教彫刻が盛んに造られた。これは、その一つではないかと考えられる。この石窟仏は、郷獅山の凝灰岩を高さ1.7m、幅1.85m、奥行き1.5mに穿って石窟とし、その奥に高さ1mの観音菩薩像と地蔵菩薩像を厚さ約13cmに彫り出している。正面右手の観音菩薩像の頭部は、後世に補修されており、地蔵菩薩像は、顔面がやや傷んでいるが、円満相のお顔や右手を垂れ、左手に宝珠を持つ姿など、古式の様相が読み取れ、彩色は後世の補修によると考えられる。地元では、この石窟仏を女人が乳を授かる守護仏として 信仰を集めてきた。 このような石窟仏は、近畿地方に多く確認されているが、香川県下には数少ない。 昭和三十六年坂出市文化財に指定された。この石窟仏上方に、中世頃(*2)の採石場と考えられる洞窟跡があり、この一つは今も水を湛えており、地元の伝承によると、海水の干満とこの水位が一致。洞窟と海がつながっていると言う。(*3)(*1) 平安時代の始まり(794年)から鎌倉時代の成立までの、およそ390年間。(*2) 鎌倉時代の始まり(1185年)から室町時代の終わり(1573年)までの、およそ400年間。(*3) この説明は笑えます。