神武天皇陵へ、静かな参拝。
神武天皇畝傍山東北陵(四条ミサンザイ古墳)の特徴
皇族が定期的に訪れる神聖な場所です。
初代天皇の陵墓がある歴史的な史跡です。
本物の御陵印をいただける特別な体験が可能です。
お詣り叶い、御陵印戴きました。セルフ押印です。歴代の印が印箱に整然と並んでいて圧巻です。専用の御陵印帳がオンライン販売されていたのですが迷った末見送りました。無料駐車場🅿️あり。
愛子さんなど、皇族の皆さんが定期的に訪れにきはります。明治期に、初代天皇の墓として、この地に決めはったのが、語り継がれています。緑豊かで癒されます。森林の深さと共に日本の歴史を振り返り思いや考えを巡らせる事ができます。
2024年8月12日旅行で奈良に行った。古墳を巡った。最後に神武天皇陵を訪れた。いろいろな意味で他の古墳と違っていた。陵墓の上は樹木が生い茂り、周囲の森と同化していた。周辺一帯は禁足地の「入らずの森」で、古墳には見えなかった。拝所の向こうは彼岸で、ほとんど人の手が入らない自然の森だったが、拝所より手前の此岸は庭園だった。庭砂利が敷き詰められた地面は掃き清められ、生垣などの樹木はきれいに手入れがされていた。前日に行った崇神天皇陵や景行天皇陵も整備されていたが、神武天皇陵はスケールが違った。神武天皇は初代、崇神天皇は第10代、景行天皇は第12代である。何事も初代や創業者が特別扱いされることは多いが、神武天皇陵の場合は少し不思議な気がした。神武天皇は実在しなかったという説がある。古事記と日本書紀では、神武天皇を初代とするが、その記述には金色の鵄や三本足の八咫烏が登場し、天皇の事績は強い神話色で彩られている。日本書紀によれば、神武天皇は辛酉年の紀元前660年に即位し、127歳で崩御した。また、陵墓の所在地の問題もある。神武天皇の実在は定かではないが、陵墓は奈良時代と平安時代に間違いなく存在していた。奈良時代に成立した記紀と平安時代の延喜式に記述がある。しかし中世になると荒廃し、所在が分からなくなる。江戸時代の元禄年間頃に、陵墓の探索が始まり、幕末に畝傍山周辺の「ミサンザイ」が神武天皇陵とされ、現在に至っているが、異説もある。1697年の(元禄10)の江戸幕府の山陵調査では「ミサンザイ」ではなく、やはり畝傍山周辺の「塚山」が神武天皇陵とされた。現在、この「塚山」は第2代の綏靖天皇陵とされている。考古学上では、「ミサンザイ」、「塚山」とも、5~6世紀に造営された四条古墳群に属している可能性があるらしい。いろいろな意味で他の古墳と違っていたが、神域であることは間違いがなかった。行って良かった。
初代天皇の陵墓。皇族の方が参拝される時はニュースになったりするので有名な場所だと思う。訪れた時は夕方だったので自分以外は誰もいなかった。駐車場から拝殿までは長い玉砂利が敷かれた道が続いている。拝殿まで来ると広々としていて、とても静寂な空気に包まれた感じがする。歴史好きなら一度は訪れてほしい場所だ。
初代天皇である神武天皇の陵です。入口には駐車場があります。長い玉砂利の道を歩いた先に陵があります。荘厳な雰囲気に鳥肌が立ちました。
今井町のボランティアガイドさんから、橿原神宮を参拝するのなら、神武天皇陵も行った方が良いですよと勧められ参拝しました。そのガイドさんのお話しでは、明治になってから橿原神宮とこの御陵が併せて造られたとのこと。ただし神武天皇の御陵としての考古学的な証拠は出ていない(文化庁の埋蔵文化財包蔵地とはさ指定れていない)とのこと。橿原神宮の奥社的な存在なんだろうなと私なりに認識しました。「畝傍山東北陵」は、「うねびやまのうしとらのすみのみささぎ」と読むと後で調べて知りました。広々として厳か。ただ、熱中症警戒アラートの出ているこの日、白い玉砂利からの照り返しが熱くて堪りませんでした。
名前 |
神武天皇畝傍山東北陵(四条ミサンザイ古墳) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-22-3338 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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静かな場所です。カーブしている参道の途中で男性一人とすれ違っただけでした。