山の辺の道で古墳探訪。
渋谷向山古墳(景行天皇 山邊道上陵)の特徴
渋谷向山古墳はキレイに草が刈られた古墳で魅力的です。
山辺の道を進むことで、古墳や小山を楽しむことができます。
天理市のボランティアが世話する畑が快適な散策をサポートします。
渋谷向山古墳(しぶたにむこうやまこふん)山辺の道を南に進むと、前方にキレイに草が刈られた古墳が見えてきました。いかにも古墳らしい古墳で、視界に全体が収まり分かりやすい。そして右手に見える小山のような丘が渋谷向山古墳でした。墳丘長が300mもある前方後円墳とのことで、鬱蒼とした木々に覆れています。全国第8位を誇る規模の古墳で、宮内庁により第12代景行天皇の陵に治定されています。以下、現地説明板より--------------------------------------渋谷向山古墳 (古墳時代前期)渋谷向山古墳は天理市渋谷町に所在し、龍王山から西に延びる尾根の一つを利用して築かれた前方後円墳です。現在は「景行天皇陵」として宮内庁により管理され、上の山古墳を含む周辺の古墳3基が陪塚に指定されています。墳丘は全長約300m、後円部径約168m、前方部幅約170mを測り、前方部を西に向けています。古墳時代前期に築造されたものとしては国内最大の古墳です。墳丘の形状については諸説ありますが、後円部4段築成、前方部3段築成とする見方が有力です。また、周濠は後円部側6ヶ所、前方部側4ヶ所の渡り堤によって階段状に区切られていますが、現在の状況は江戸時代末におこなわれた修陵事業によるもので、古墳築造当時の姿とは異なるものです。これまでの宮内庁書陵部の調査等により、普通円筒埴輪、鰭付円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪が確認されています。このほか、 関西大学所蔵の伝渋谷出土石枕が本古墳出土とされたこともありますが、 詳しいことは分かっていません。また、渋谷村出土との伝承がある三角縁神獣鏡の存在も知られています。渋谷向山古墳の築造時期については、埴輪の特徴から古墳時代前期後半 (4世紀中葉)と想定されています。柳本古墳群の盟主墳として、先に築造された行燈山古墳 (崇神天皇陵)とともに重要な古墳です。平成23(2011)年3月 天理市教育委員会。
山野辺の道を歩いていくと小山が見えてきます。第十二代の景行天皇、日本武尊のお父さんなんですね。実在せず神話の世界ともいわれますが、御陵の前に立つと何とも神聖な気持ちにさせられます。
景行天皇陵の東を通る山の辺の道付近では、天理市のボランティア「山の辺の道ファンクラブ」が世話する畑が歩く方を応援しています。特に春は菜種が満開。萌えていく里に黄色い花が鮮やかです。6月からは綿を育てます。橘の木や万葉の花もあり、大和三山や葛城金剛山を望められるいい所です。
| 名前 |
渋谷向山古墳(景行天皇 山邊道上陵) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0744-22-3338 |
| HP |
https://kanko-tenri.jp/tourist-spots/south/keikotennoryo-shibutanimukoyamakofun/ |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
2024年8月11日旅行で奈良に行った。古墳を巡った。崇神天皇陵の後、景行天皇陵に行った。崇神天皇陵では、濠端の遊歩道を歩いて古墳の周りを一周した。景行天皇陵も一周するつもりで、拝所の右手の遊歩道を進んだが、すぐに道が途切れた。一周するには、かなり遠回りになりそうだったので諦めた。二つの天皇陵の間には、周辺の整備に大きな隔たりがあった。崇神天皇は第10代、景行天皇は第12代天皇とされている。実在が疑われる古代天皇が多い中で、崇神天皇を本当の初代とする説が有力視されている。歴代天皇の中で、崇神天皇は特別な存在である。それで、崇神天皇陵は特別に整備されているのかもしれない。