古墳の上で御利益を実感!
入谷氷川神社の特徴
古墳の可能性がある地点に建設された神社です。
参道が長く真っ直ぐ伸びていて心地よいです。
植栽が手入れされており、清々しいお参りができます。
本日のもう一つの吉方位入谷古墳跡の塚の上に立つ入谷氷川神社参道脇の植栽も綺麗に手入れが行き届き、とても清々しい気持ちでお参りができました。
地域に根ざした神社って感じでいいね。境内は小綺麗。
いつ行っても綺麗に整備されてます。オナガやムクドリが居ますよ!
いつも本当にきれいにしてます御利益がありそう。
古墳跡地に神社!!!社殿など綺麗に整備されてます。休憩所の様な謎の広場がありました。
一応 土地の神という事で 正月に行くがとにかく ショボい。どうせ 建てるならもう少し ちゃんとした造りに すれば良いのにと思う。他にも 神社は たくさんあるのでここ 居る?という感じ。せめて 神社なら お守りの1つ位 売ってて欲しいかな。
夕暮れ時にいったので写真が暗くなりました。地元の鎮守ですね。木々に囲まれた境内は静まり返って、気持ちが落ちつきます。
古墳があったと説明板がありました。下のように書かれてます。 入谷古墳については、文政五年(1822)徳川幕府が各地の村などを調査して作成した「新編武蔵風土記」入谷村の記録に「八幡社 塚上ニアリ。土人白幡八幡ト称ス。古岩槻攻ノ時、当初ニ幡ヲ立シヨリ、カク称セリト云」とある。この地域は東京東部低地(足立区・葛飾区・江戸川区・帰宅・荒川区・墨田区)の北辺にあたり、足立区内でも最も早い時代(四世紀頃)に古代の人々の集団生活がはじまった場所の一つである。毛長川沿岸には舎人遺跡・伊興遺跡・花畑遺跡などの多くの古墳時代の遺跡が確認されており、これらの遺跡とともに多数の古墳が過去に存在したことが知られている。昭和四十九年、当地の区画整理事業に当り、予定ではこの塚の半分以上が削られるところであったが、地元住民の熱意によりこの塚が保存されることになった。入谷氷川神社氏子総代が中心となり、計画を変更し保存に協力したのである。現在、区内に残されている古墳は東伊興の白幡塚古墳一基のみとなってしまっている。古墳の可能性の高いこの塚が保存されることは、きわめて有意義なことである。
神社までの参道がそこそこ長いのも良い感じの神社だね。
| 名前 |
入谷氷川神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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古墳の可能性があるところに社殿を建てられた神社とのこと。たしかに社殿の部分が小高くなっている。開発に伴い破壊されるところ地元の方々の熱意により保存されたという趣旨の区教育委員会の案内板が参道の横にある。たしかに宮司が常駐しない神社ながら、新たに寄進された鳥居などが美しく、地元に愛された変な言い方であるが現役の神社である。社殿を取り囲むように社叢が広がっており、住宅地の中にありながら、そこだけちょっと別世界である。