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| 名前 |
浮洲岩 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
児島八十八ヶ所43・44番の西明寺・先陣庵から遍路道を藤戸へ向かう途中、気になる風景を見つけて立ち寄りました。もし田植えの季節ともなり、この辺りの田畑に水が張られれば、今でも海の様に見えることでしょう。以下は碑文より。『ここは浮洲岩とよぶ岩礁の跡である。藤戸海峡が東西に通じていた頃、海の難所として恐れられ、寿永三年(1184)12月7日源平両軍が戦った古戦場として有名である。また、織田信長が錦に包んで二条御所に運んだ藤戸石、豊臣秀吉はこの石を醍醐三宝院の庭に移して主人石に立てた、天下の名石の出たところでもある。歳月は流れて藤戸海峡は平野と化し、この辺りも備前藩が干拓したが、浮洲岩の沼澤はそのまま残して海峡の昔を伝える史跡とした。標石には正保二年(1645)の造立銘がある。』