龍王山で古墳群を巡ろう!
龍王山古墳群の特徴
龍王山登山中には、数え切れない古墳が待っています、特に斜面には多くの遺構があります。
6世紀中葉以降の官僚の家族を埋葬した、国営共同墓地としての歴史的価値があります。
崇神コースを歩けば、唯一の前方後円墳が見られる、後期古墳時代の魅力が堪能できます。
グーグルマップの位置がスタートラインで更に上にいくと数え切れないほど古墳が出現します川を挟んで対岸の山の斜面に特に多くあります。
6世紀中葉以降のヤマト王権を支えた官僚とその家族を埋葬した国営共同墓地と目される終末期の古墳群です。火葬墓の前段階の改葬墓(骨化した遺体を小型の木棺に入れて埋葬)など薄葬令の影響が色濃く残る所ですが見学となるとその前段階の横穴式石室&木棺などの墳墓です。柿本人麻呂が亡くなった妻に会いたくて訪れた「羽易山」で火葬され灰となった妻との再会に嘆き悲しんだ「引出の山」とも?新沢千塚や巨勢山古墳群より半世紀ほど後の6世紀前半中葉から始まり6世紀後半〜7世紀初め頃をピークに奈良時代まで追葬や改葬が行われていたとされ、数基〜十数基のグループの群で構成されたヤマト最大の群集墳です。確認されている数は600基以上にのぼりますが昭和に行われた砂防ダム建設に伴う調査で未確認の墳墓が多数見つかっており実数は1000基に及ぶと考えられています。副葬されているので埋葬者数は2〜3倍の2000〜3000人とも横穴式石室と横穴墓がほぼ半数づつで墳丘墓は殆どが円墳で6世紀は20m〜10mで7世紀頃には数mや墳丘の無いものも出てきます。多くは石室に木棺ですが一部の比較的規模の大きな古墳では石棺に馬具や鉄剣など地方の大型古墳に匹敵する設えがされていて社会的地位の高い人物も埋葬されていたようですが、薄葬令下の質素で副葬品も少なく手間要らずのお墓が多い所です。群集墳は平坦地や尾根稜線上に並ぶ所が多いですが平坦地が少ない不適地に墳墓を築いており谷の両側に横穴や外護列石を伴う墳墓や、小型竪穴式石室が谷を埋め尽くすように密集しているので人の手が加わった地形だとは気付くのですが廃村のそれと同じで自然に戻っています。龍王山へ登るハイキングコースの案内板に大体の場所が書かれていますが見学目的の案内は有りません。「奈良県立橿原考古学研究所のホームページの奈良県遺跡情報地図」に当古墳の異常に密集した古墳群の地図が参加になります。1000基ものお墓は何処?みたいな杉林でしかありませんがコース沿いの石仏がある周辺などに手軽に見学できる古墳があり見学した気分にはなりました。(花粉症の方は要注意)龍王山(南城跡地)は天気次第で奈良盆地全体や遥か遠く淡路島まで望む事が出来る国生みの神話が身近に感じられる絶景スポットでもありますので龍王山登山に伴う見学程度がオススメです。
天理市トレイルセンターの駐車場に車を停めて、崇神コースで、歩きました。展望台まで約4kmありますが、大変しんどいです。コースの途中に古墳群があります。また、入口には、崇峻天皇陵も眺めることができます。
龍王山に行く途中に出逢いました。まるで古墳時代を思わせる雰囲気。でも龍王山に登るのは少しキツかった。
古墳群の中で唯一の前方後円墳?12C-0048渋谷町サブ谷の尾根。後期の古墳。全長約45m後円墳径23m横穴式石室。龍王山登山道から分岐したロープの張られた小径入ってすぐを沢を渡り南方向に登って行く。かなり広い両袖式の石室だ。
後期古墳時代ですから仏教の影響を強く受けてます。すべて北枕で入り口は南側に向いてますから、すぐに発見できます。ただ、遺跡地図の番号となかなか合致しません。ヘルメット、懐中電灯、軍手は持参してください。スコップで掘り起こし禁止!
| 名前 |
龍王山古墳群 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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龍王山登山途中にいくつかこのような穴が残されていた昔の人はよくこのようなものこんな場所にいくつも作ったものだと感心する。