中山道の歴史、川越街道も交差。
平尾追分の特徴
江戸時代の中山道最後の宿場がここにあります。
中山道と川越街道の分岐点として重要な史跡です。
対岸に平尾交番がある旧中山道の歴史を感じられます。
江戸に入るための中山道最後の宿場。練馬から歩いていたら、目に付きましたので投稿します。
旧中山道の平尾追分ですが、「平尾」の名前が残っているのは、今では対側地に存する平尾交番のみになってしまっています。歴史を残す意味でもここを『平尾追分』と、Googleマップに記録しておきたいと思います。
良くわかりませんが史跡だそうです。
こちらは江戸時代には五街道の一つ 中山道、分岐しているのは川越街道です。つまり江戸時代には京都に行く道と川越に行く道京都は都であるから分かりますが、川越はと言うと川越には今の隅田川(江戸時代には荒川の源流)へと向かいました。川越から船で野菜、魚、その他の物資が千住大橋へと運ばれて売り買いされました。
碑があるわけでもなく、説明書きがあるわけでもありません。
追分というのは、分岐点のこと。江戸の日本橋から続く中仙道の第一宿である板橋宿があった場所で、ここで川越街道と分岐していた。平尾という名は実は宿場名で、一般に板橋宿と呼ばれているが、現在の板橋本町は上宿、仲宿は中宿、板橋は平尾宿と分かれていたそうで、上宿は本陣、中宿は商人宿、平尾宿は人足宿というふうに身分によって分けてたらしい。つまり、板橋宿というのはこの三宿の総称となるのだが、昔のこの辺りの地名は、下板橋村だったそうで、地元では下板橋宿と呼んでたそうです。
名前 |
平尾追分 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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中山道と川越街道の分岐点です。冠木らしきものの上にウサギが座っています。