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名前 |
小串台場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
小串台場は、かつて高畠氏の居城のあった丸山という丘(小山)東端の一番高い場所に、岡山藩によって築造されました。明治時代に台場跡は北東の海岸までの範囲を含めて官から民に払い下げられ、現在も私有地となっています(勝手に立ち入ることはできません)。対岸には外波崎台場のあったテイカの工場が見えます。外波台場は大砲の射程を補うために築造されたらしいので、当時の大砲の射程は・・・。ちなみに、海岸に面した北東の土地には明治時代に銅製錬所が造られ、太平洋戦争前まで硫酸、人造肥料などを製造していました(製銅は第一次大戦後の銅価崩落により中止されたが、西側に埋立て工場を拡張)。よって、現存する石積み及びレンガ積みのほとんどが台場とは無関係のものです。