歴史の息吹感じる松永久秀屋敷。
松永屋敷跡の特徴
歴史好きにはたまらない松久秀屋敷跡の魅力が満載です。
遺構が良く残る大手郭桝形虎口が見どころです。
信貴山山頂からのアクセスが便利な立地にあります。
松永久秀屋敷跡に向かう入り口。信貴山頂上から降りてきたが、あまりにも急な斜面で山城の恐ろしさがよくわかった。ここは入り口で奥に松永久秀跡があるが薄暗かったので遠くの方から見るだけにしたが、屋敷を建てられるような平場が広がっていた。信貴山城は、戦国時代の武将、木沢長政により築城され、一旦焼失し、大和に入国した松永久秀が改修。大規模な城郭を築く。その後、筒井順慶・三好三人衆の連合軍により落城し、すぐさま久秀が奪い返すなど、激しい合戦の舞台となる。久秀の最期は有名。織田信長との信貴山城の戦いで、信長がほしがっていた名器「平蜘蛛茶釜」とともに自爆したと伝わっている。
大手郭桝形虎口・屋敷跡桝形虎口・主郭側大切岸・土塁等 遺構が良く残っている。西側の郭群は、松永屋敷よりも広く、技巧的な普請が見られる。石垣が残存しているのも、西側の郭群である。
信貴山山頂から約10分ほど北側に下るとある。ひろーい、平らな場所。昔の屋敷の光景が目に浮かぶような感じ。現状説明板やら落武者(笑)など整備はされてはいるが、なかなかわかり辛い。もう少し整備が進むといいねー。
前回の登城は夏でとても暑くてバテてしまったので信貴山城址までとなりましたがお正月に運動不足になってしまったので再訪。今回はこちらと弁財天の瀧をセットで登りました。特になにかある訳ではないけどとても広い場所だったので驚きました。信貴山城址から少しだけ下って10分位で行けました。空気も綺麗でとても良かったです。
松永久秀の屋敷があったと言われる場所ではあるが、規模が宏大で、城としての本体は、山頂の小さな曲輪ではなく、こちらのほうにあったのではないかと推測してしまう。遺構がよく残っていて、見学のしがいがある。麓から眺めると相当の比高差もあって、固い城だっただろうと思われる。本格的に整備されたのは戦国期だが、楠木正成がここに砦を築いたとも言われており、かなり燃える。
名前 |
松永屋敷跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0745-44-9855 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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知らない人には普通の林ですが、歴史好きの人は案内板を見て進むと楽しめます。金属製の階段が整備されています。足を滑らさないように慎重に進みましょう。屋敷跡の東側には木製の柵が作られて演出されています。