明治天皇の足跡を辿る。
明治天皇御野立所跡の特徴
明治天皇が近衛兵の演習を統覧した野立所跡です。
ビルの谷間にひっそりと佇む明治天皇の石碑があります。
記念碑には当時の風景を想像させる植栽が施されています。
歩道沿いに…特に目立つような状態ではなく…ポツンと記念碑が在りました…三角地帯のような小ぢんまりとした、公園とまではいかない木陰のエリアでした🌳
明治8年明治天皇が近衛兵の連合大演習を統覧された 野立所跡です。昭和18年 東京市が「雑司ケ谷御野立所」を開園しましたが、その後は現地の規模まで寄付により縮小したそうです。
明治天皇が行幸の折に休憩した場所です。古い石碑が歴史を感じさせてくれました。
どんな場所だったのだろうか?
ちょっとした公園になっている。また、近場に「あなたの心に横丁がありますか 人世横丁の碑」と刻む石碑があったが,造立趣旨等良く分からない。御野立の由来を刻む石碑あり。以下,その碑文を記すが,陰刻した文字の挿込色の中途半端なハゲと光の反射で,また,内容も中途半端な文語体であることも相俟って,非常に読みにくい(しかも,「これ間違ってね?」という部分も二,三点あった)。若干想像で補いながら読んだ部分もあるので,その内容の正確さは保証しかねる。あくまでも大要を掴むものとして読んで欲しい。「明治八年十二月二十七日午前八時,赤坂假御所御出門の明治天皇には, 内外の文武百官供奉するなかを音羽護國寺を行営と定められ,豊島、板𣘺方面において挙行された近衛兵の連合大演習を御統監された。この日親しく天皇旗を仰いだ御野立の丘が即ちこの地である。當時この地方一帯は廣蒙たる武藏野の原野が起伏し,?〃に雑木林と農家が點在する真に大自然そのまゝの姿であった。明治十八年三月,日本鐡道會社の目白赤羽線敷設,同三十六年四月現山手線の開通で池袋驛が出来次第に移り住む者多く,さらに大正三年四月武藏野鐡道(西部鐡道池袋線)同五月東上鐡道(現東武鐡道東上線)が相次いで開通し,また市電,王子電車等の交通運輸機関がこの地に集約されるにおよんで急速に繫栄への途を辿ったのである。尓来幾多の變遷を経て大東京西北玄関口として發展を續けて来たのであるが,昭和二十年四月十三日午後十時太平洋戦争の空襲により,この地方は一夜にして文字通り灰燼に歸し,たゞ満月荒涼瓦礫の山と化したのであった。やがて廃虚の中から雄々しく立上った地元民の旺盛なる復興意欲と真摯なる協力は,よく十餘年の歳月をかけて昭和三十五年十月みごとな大區畫整理を完成面目を一新したのである。この秋,區畫整理完成記念事業の一環として,西武鐵道株式會社より寄贈の金壹封を基金に創立された池袋育英褒奨會は地域社會の發展と共に五箇年を閲し,その基礎漸く固く廣く世人の認めるところとなった。こゝに同志相寄り,古住今昔を偲び,明治天皇御野立の舊跡を尋ね,?き日をトして些か碑を復建整備し恒久施設をもって世に傳へる所以である昭和(確認ミス。多分、三十六)年八月吉日近藤 登雄」
ビルの谷間にひっそりと。
ただのちょっとした植栽で、記念碑と読めない碑文があります。特に立ち寄るものでもありませんが、野立所は保存されなくなり、ここもいつ豊島区が保存をやめるかはわかりません。明治天皇ファンの人はあるうちにどうぞ。野立所は高貴な人専用の休憩所みたいなところだったみたいです。
明治天皇が訪れた場所であることを示す石碑。現在は小さな石碑が建てられるのみで少し物足りなさを感じる。
明治天皇の石碑が有ります。
名前 |
明治天皇御野立所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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ビルの裏手にありあまり目立たないかもしれませんね。