赤門寺で閻魔様に会いに!
勝専寺の特徴
江戸時代からの歴史を感じる、創建1260年の浄土宗のお寺です。
赤門寺の通称で親しまれ、閻魔様像が特に有名となっています。
1月と7月には賑やかな縁日があり、出店が多数並ぶ観光スポットです。
北千住駅西口近くにある寺院。ご本尊は阿弥陀如来で浄土宗の寺院です。そのほか、千手観音や閻魔大王などが祀られています。商店街の脇道に入ったところにあり、駅前の賑やかさとは打って変わって静かな境内です。本堂は少し変わった建物で洋風の教会のような趣があります。「赤門寺」の由来となった門は普段は閉じられており、参拝の際はレンガ造りの別の入り口から入れます。千住の地は古くから中山道、水戸街道の宿場町として栄え、江戸時代頃には将軍が鷹狩に訪れたこともあったとか。住職の手が空いていれば手書きの御朱印を頂くことができます。お寺の方々もとても丁寧な対応で嬉しかったです。
江戸時代に日光道中が整備された後、この寺の境内には徳川家の御殿が造営され徳川秀忠、家光、家綱らに利用されました。さらに日光門主の本陣御用を勤めた記録も残されていることから、千住宿の重要な拠点であったことが忍ばれる由緒ある寺院のようです。現在は本堂のほかに山門、鐘楼、閻魔堂が残っています。
1260年創建。赤門寺とも呼ばれます。新井政次という人物が荒川(現在の隅田川)に編みを投じたところ千手観音像がかかったことが寺の御由緒であるそうです。この千手観音は寺宝となっており、千住という地名の由来です。江戸時代は徳川将軍家の鷹狩の休憩所としても使われていました。閻魔像が安置されており、普段は非公開ですが、1月と7月の15日〜16日は閻魔開きとして公開されます。掲題にある鐘楼は明治時代に再建され、鐘の音が聞こえる当時の南足立、南葛飾、北豊島の三郡から資金を募って実現しました。その記念の碑文がはめ込まれているのですが、これは朝鮮から亡命した政治家・金玉均の筆です。しかし、彼とこの寺の関係は不明のままです。
浄土宗で本尊を阿弥陀如来。旧千住七福神札所で担当は毘沙門天尊(今は七福神札所ではありません。)、江戸44閻魔霊場39番札所です。この霊場調べてもいまいち出てきません。山門が赤い事から別名『赤門寺』とも呼ばれています。本堂はインドの寺院を模してます。閻魔開きには閻魔堂が御開帳され、今も縁日には露天が並びます。また千手観音が祀られ、こちらの観音様由来で『千住』の町が成り立ちました。
久しぶりに閻魔様とご対面。恐ろしい存在のはずの閻魔様ですが、昔からこの街を見守ってくれている気がします。
三宮神山大鷲院勝専寺といい浄土宗のお寺になります。「赤門寺」という別称で人々に親しまれている京都智恩院を本山とするお寺で、御本尊は阿弥陀如来です。御府内四十四カ所の閻魔様の参拝でお伺いしました。勝専寺は新井兵部政勝が開基となり、勝専社専阿上人を開山として文応元年(1260年)に創建されたといいます。勝専寺に祀られている木造千手観世音菩薩立像は、千住の地名起源の一つとされていて、新井兵部政勝の父正次が荒川から引き上げたという伝承を持っています。江戸時代には日光社参に際して徳川幕府将軍の御旅所となっていました。明治三十九年(1906年)に建立された本堂は、インドの某寺を模したという特徴的な形状をしています。ご住職様と奥様に丁寧な対応をしていただきました。
北千住散策の🚶♂️観光スポット『浄土宗 勝専寺』(通称 赤門寺)さん😃お寺の一角には、『閻魔王様』が纏われています👀‼️蕎麦好きの閻魔様が若い娘の姿になって町へ蕎麦(藪蕎麦)を買いに出掛けた、という伝説も…❓1月ま15日・16日(初閻魔)、7月15日・16日(大斎日)が閻魔魔王の縁日で、境内や周辺に多数の出店が出ます👌両日は地獄の釜も開き地獄の罪人達も苛責されないそうで、昔の奉公人は「藪入り」といって骨休めの日だったそうです‼️『勝専寺』さんは『ほんちょう商店街』🚶♀️焼き肉『旦火』さんと『牛繁』さんの路地の先に有ります✌️
赤門寺で有名だそうで、綺麗な直書き御朱印頂きました。
近所では赤門寺の通称で知られ、閻魔様像で有名な当寺。普段は閉じてる赤門が、お盆の縁日で屋台が出る時には開かれます。
| 名前 |
勝専寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3881-2358 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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御朱印の種類も複数あり、丁寧に書かれています。年に2回のお祭りでは閻魔様を見ることが出来ます。とても迫力があります。