梅若伝説ゆかりの秘密。
木母寺の特徴
墨田区に位置し、梅若伝説ゆかりの歴史的な寺院です。
都内最大級の石碑や三遊塚が魅力の注目スポットです。
日露戦争の碑など、歴史的な見どころが豊富なお寺です。
墨田区の小さなお寺さんです。皆さんが、よく知ってるので、説明はないです。 4時頃閉まります。石碑が多いので石碑の写真を、御朱印は、あります。
境内にある三遊亭塚、ゆかりの五代目円楽一門会も開かれ小さいながらも由緒も格式もあるお寺さん。天台宗。墨田区散策には是非訪れたいお寺さんです。
小さなお寺だけど都内最大級の石碑や三遊塚、人頭蛇身の宇賀神などみどころは多い。
東白鬚公園近くに有るお寺です。もとは墨堤通りに面した梅若公園のところにあり、昭和51年(1976)防災拠点建設の為に現在地移転されたそうです。
江戸時代初期には将軍家鷹狩りの場所であり『隅田川御殿』があったが五代綱吉時代に破却され鷹狩り自体も千葉へと移る隅田川東岸なので江戸市外、江戸初期は何もない湿地帯。
ここに祀られている梅若様がそもそもどれだけの人物かはよく知りませんが、これだけの祀られ方をされるということは、かなりのものですかね。でも、子供ですよね。もっとよく勉強してみます。お堂がコンクリートの建物内にあるのも珍しいです。これも、特別な理由がありそうなので調べてみます。ほとんど知識が無いのに訪れたのは、墨田北部のウォーキングコースに入ってたからです。色々な建造物がありましたが、ガラスケースの中にあるのが梅若様と母ですよね。しかし、本堂の中にどうやって入るのかわからず、手は合わせられませんでした。
御朱印を頂きに参拝。梅若塚と御本尊の元三大師の2種類の御朱印あります。寺務所入口に書き置きのものが2種置いてあり、どちらもひとつ300円のお納め。隣においてある箱にお金を入れて拝受。つまりお釣りは無いので気をつけて!平安中期に人買いに拐われた貴族の息子、梅若がこの地で亡くなり、それを捜しに東国まで来た母親が隅田川の渡し守から息子の死を教えられ、それを追悼する法要で死んだ息子の霊に会う。その後息子は消えてしまった…という救いの全くない梅若伝説の舞台がこの木母寺。しかし正確には災害時の整備事業で元々あった場所からは少し移動している。ちなみにその後、母親はこの地に定住するものの、息子を失った悲しみに堪えられず浅茅池という池に身投げします。更に救いの無い話。その梅若伝説を不憫に思った天台宗の僧忠円によりお堂が建てられたのが木母寺(梅若塚)の始まり。ちょうどこのお寺の近くを対岸の石浜から鐘ヶ淵方向に向けて古代東海道が通っており、この地は隅田宿という宿場を形成していました。当時東京湾はこの辺りまで湾口になっていて、石浜は文字通り石のゴロゴロしていた浜だったから石浜なんだそうな。面影なんて全くないけど。…というか縄文海進の頃は更に埼玉は大宮の見沼辺りまで海だったというのだから、そうなると面影どころか想像も出来ないのね。この梅若伝説は能や浄瑠璃になっているので、こちらのお寺は芸能関係にご利益があるのだそうです。芸能上達の絵馬も授与されてます…というかその絵馬書いて奉納しました(苦笑)
非常に達筆な御朱印を頂くことができました。
関東ではほぼ知らない昔話ですが、梅若伝説がありその縁のお寺です。
| 名前 |
木母寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3612-5880 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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お能や歌舞伎などの演目「隅田川」の舞台である、墨田区と台東区。隅田川物の一つとして、梅若伝説の話を聞くと、本当に悲しくなります。亡くなる前に、12歳の梅若丸が詠んだと言われる、「たづね来て 問はばこたえよ 都鳥 すみだ河原の 露ときえぬと」の歌を読めば読むほど、悲しくなります。毎年4月15日が梅若忌として、能楽が奉納されます。東白鬚公園の少年野球場の近くに静かに眠り、同じ年に近い、子どもたちの声を聞きながら何を思っているのだろうか。