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奈良時代の国家は、災害や外敵からの保護をはじめ、五穀豊穣などの利益を、神道だけでなく仏教も使って祈ることを考えた。発想自体は釈尊の教えとは、ずれ捲りなんだけれど考えたのだからしょうがない。摂津の国には、この辺りに官営の寺院である国分寺を設営した。国分尼寺も設置した。男女同権などの思想はない。各国に作ったから、大阪ならば和泉・河内のも作ったのである。摂河泉ということですが、ボートレースではない。摂津国分寺にかんしては、大阪市北区長柄・中央区森ノ宮に「国分」の地名が残り、そこであったのかという諸説がある。しかし、天王寺区国分町のこの公園付近では、奈良時代の古い瓦が出土している。他の所では出土していないので、この辺りではなかろうかと考えるのが常識的ではある。文献が残っていれば確定であるが、また伽藍の土台などがあっても強い証拠となる。古瓦では、寺の証明にはならない。