古代からの立石様に出会う。
立石(立石様)【東京都指定史跡】の特徴
古代からの信仰の痕跡を感じる立石様が存在します。
地名の由来となった立石は目印として知られていた石です。
中川沿いにある古道を歩けば帝釈天王の道標に出会えます。
▼立石との地名となった石とのことですね。▼立った大きな石でもあるのかと思いきや、ほとんど地面に埋まっています。▼この石を持っていると、矢に当たらない、弾に当たらない等のゲン担ぎの伝承と相まって、石を削り取っていく人が絶えず、とうとう地面まで石は無くなってしまったという話を聞いたことがあります。▼近くの五方山熊野神社は、関東で唯一、陰陽師・安倍晴明との関係が深い神社と聞いております。何か陰陽道でつながりがあるのかもしれませんね。▼小さな児童公園内にありますので、Googleマップに頼って来られるのが良いと思いますよ。
由来を読んでも、結局古代のものなのか近世のものなのか、何だかよくわからない謎石。でも、謎だからこそ、ちょこっとだけ頭を出している姿が似合っていて良いような気もする。「立石」という地名の由来でもあるので、一度は見てみても良い?児童遊園自体が奥まった住宅街の路地にあるので探しにくいのでGoogleMapを見ながら散策すること推奨。
立石という地名の由来にあたる石だそうです。
昔は目印になるくらい大きかったんですよね。今は地表4センチ程度です。
立石の地名の由来の立石様が有るとか、自転車で探したが分からずじまい。時代は変わってグ―グルマップの時代、なんだ葛飾税務署の側の児童公園の中とは、鳥居の奥の立石様は地上の部分は無くなってしまったが巨石か、分からないほうがロマンがあっていいね🤔
すぐ近所だったので小さい頃よく遊んでた馴染みある公園です友達と石に向かって立ちションしたり後ろに小銭がお供えされてる時は駄菓子を買うための小遣いにしてました特に思い入れはなく、ロマンや畏敬の念を抱いたこともありません。
古代からの「石」への信仰の痕跡を感じさせる場所。児童公園の一部となり、また御神体である「立石」は、地表にわずかに顔を出すのみであるが、これが当地の地名になっていったとすると、地名好きとしては訪れざるを得まい。千葉の香取神宮にも、氷山のごとくちょっとだけ露頭し、実は地下にものすごく大きな部分が埋まっている(と信じられている)石があるが、もしかすると同様の伝承があるのかも知れない。巨石(メンヒル(menhir))信仰が日本にもあったのだろうな、とロマンチックに夢想したいのだが、あまりにも普通な住宅街の中の狭苦しい一角ではある。
小さな児童公園内にある小さな祠と鳥居と御神体の大きな石。土に埋まった単なる石だが、古い歴史を感じる。
中川沿いに古道を歩いて行くと「帝釈天王」と彫ってある道標に出会った。(写真)なんであろうか。古道にはこのようなものが不思議と残っている。この辺かと思い、路地を曲がってみる。なんとなく雰囲気が住宅街。住居表示を頼りに進んでみると。大きな木があったのでもしやと思ってきたが公園のようだ。おそらくこれが立石様のようだ。(写真)それにしてもシーソーがすぐ脇にあるのはミスマッチの風景だ。なるほど。この石は房総半島の石なのか。古墳時代によく運んできたなぁ。この近くを通っていた古代東海道の目印とされていたということは当時この辺には目印になるものがなかったということか。児童遊園にふさわしいミニ鳥居だ。(写真)これが立石様だ。(写真)なんの変哲もない石に見えるが、緑色で、そこらへんの石とは違うぞと主張しているようにもみえる。うしろに墓石のようなものがあるがなんだろう。(写真)説明板がないのでわからない。ここが正面入り口のようだ。(写真)それにしても、ブランコ、滑り台、砂場、シーソーのある祠は珍しい。それとも児童遊園の中に祠があるのだろうか。
名前 |
立石(立石様)【東京都指定史跡】 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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古代律令国家が形成されつつある7世紀頃から存在したと推察される立石。多くの先人がこの地を歩いて行く姿を目を閉じて思います。