勝龍寺城散策後に、歴史が息づく美しい場所!
越中井 (細川忠興夫人秀林院殉節之遺址)の特徴
明智光秀の娘を持つ、戦国武将の妻が関わる史跡です。
地元の人々が美しく保つ、歴史的な公園が隣接しています。
偶然訪れても楽しめる、歴史深い場所として知られています。
目の前の公園も、細川屋敷の敷地内だったのだろうか?良く破壊されずに400年も残っていたものだ。越中井は中央大通から坂道を下りた道の角に位置する。石造りの井戸と地蔵堂、石碑がある。石碑は昭和期に大阪市婦人連合会により建てられたもので、側面にはガラシャの辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」が刻まれている。越中井の名は細川屋敷の主人である細川忠興が越中守であった事から名付けられた。
散歩の途中で寄りました。いまは静かにたたずんでいますが、明智光秀(ガラシャ夫人は光秀の娘)がNHKの大河ドラマになるようなので、訪れる人が増えるかな。
偶然見つけました、地元の人が掃除されていて美しく保たれています明智光秀の娘で細川忠興の妻、壮絶な最後を遂げた、戦国武将の嫁は覚悟が違いますね。
名前 |
越中井 (細川忠興夫人秀林院殉節之遺址) |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6208-9166 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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昨日勝龍寺城に行ってさっそく来ました。最近この辺りちょくちょく訪れてたのでびっくりです。色々調べました。1958年秀吉の死後、家康と石田光成との権力闘争の中、光成は大阪にいた諸大名の家族を人質にしようと企み最初の標的に細川屋敷を包囲した。日頃から人質を逃れられない場合拒否して自害するよう夫細川忠興と申し合わせたガラシヤは、それを拒み自害する。1600年関ヶ原の戦いの前日でした。それによって多くの多くの大名が徳川方につくようになった。当時夫忠興と離縁を望んでいたガラシヤは洗礼をうけていたため、それは叶わなかったとのこと。こういった歴史を改めて垣間見て。言葉がでない。1年後の今日はガラシャの墓に訪れました。崇禅寺はとても立派なお寺です。