静寂の中の三角稲荷、力強いパワー。
三角稲荷の特徴
本太の西端に鎮座し、江戸中期以前の創建を誇る神社です。
鳥居が立派で、越谷浦和バイパスの脇にひっそりと佇む境内です。
三角の土地に位置し、ただならぬパワーを感じる特異なスポットです。
直近の浦和橋とのギャップのせいか、境内にただならぬパワーを感じます。
立派な鳥居がありました。稲荷神社だそうです。
高架下に静かにたたずむ神社さんです。
三角の土地にあるから三角稲荷です。イチョウの絨毯が見事でした。
江戸中期以前創建。案内板に「本太の旧村社であった本太四丁目に鎮座する氷川神社の「明細帳』によると、無格社であった当社は、明治四十年六月七日に同社に合祀されたことになっているが、昭和九年から二十年の間に同社の『明細帳』から削除され、再び当社の「明細帳』が復活している。ただし、氏子の中では当社が氷川神社に合祀されたことや、復祀したということが実際に行われたことはなかったといわれ、あくまで書類上の操作で行われたことのようである。」とサラッと書いてあるが,これは明治末期の神社合祀運動に対する地域住民の静かな抵抗運動の一事例と思われる。以下境内地の観察情報。幟立石。明治二十五年二月健之銘。石工 高木亀次郎。「民福受千秋※」「神靈崇萬古※」と陰刻する。鳥居。明和七年二月健之銘。「神田 石屋ヨ兵衛?」と石工を刻むか。力石。「奉納」「八斗目」「本太村」「嘉兵衛」と陰刻。左下に欠損あり。手水石。文化二年二月健之銘。「別當 三僧祇 権大僧都 法印 譽?成 代」と陰刻するか。当社には別当寺があった様である。また,この手水石は,その寺の「誉成」という僧の代に奉納された。覆堂の中に本殿。板葺流見世棚造。※民福(ミンプク)千秋(センシュウ)に受(ウク)る「民の幸福は千年先まで受けられる」※神靈(シンレイ)萬古(バンコ)崇(アガメラレ)る「神霊は太古の昔から崇められてきた」
⊂(・ε・`)ノシ.:∴明和の年号か。
陸橋の下にひっそりとある稲荷を発見。本太の鎮守様のようです。
越谷浦和バイパスと京浜東北線の立体交差脇にある神社。その名の通り敷地が三角だったのでこの名前がついた模様。夏はセミがたくさん。
土地の形が三角だから三角稲荷と名が付いたと書いてあるので、国道463号バイパスの新宿浦和橋が出来る前からこの形なんでしょうね。境内はとても綺麗にされていて、整然としています。お賽銭箱はありませんでした。
名前 |
三角稲荷 |
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ジャンル |
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住所 |
〒330-0052 埼玉県さいたま市浦和区本太3丁目27−1 |
HP | |
評価 |
3.7 |
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本太の西端に鎮座する当社は、旧本太村の北部一帯に古くから住む石井姓と石塚姓を名乗る両一族が氏神として祀った社である。と記載されてるだけあってこの辺りの立派な家をみると石井さんや石塚さんが多かったように思えます。