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名前 |
今福淨閑戦死墓塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
大手曲輪のお茶畑の中にある。意識しないと右手の壮大な堀(三日月堀や外堀)に気を取られて通り過ぎてしまう。私も見学予定に入っていたが通り過ぎてしまい、帰りにもう一度戻って見学した。今福浄閑とは一体どんな人物なのであろうか。現地でこれについて述べる資料は見られなかった。ただ、この碑には「武田方 当城主 今福浄閑戦死墓塚」とあるので、天正3年(1575)に家康に攻め落とされたときに戦死した城主と思われる。今福氏は甲斐源氏三代源清光の子奈胡義行を祖とする一族である。その後裔として今福友清(長閑斎)、その嫡男虎孝がいる。長閑が浄閑であるという説がある。とすれば疑問は晴れるのであるが、一方では武田方諏訪原城の城主として今福虎孝の名がある。また、友清の死は天正9年病没とも云われていて、虎孝は天正10年徳川氏の侵攻で久能城にて自刃とされている・・・。結局分からない。《2023.2.1訪問》