竹内街道~初瀬を結ぶ「横大路」にある道標石。
石道標
竹内街道~初瀬を結ぶ「横大路」にある道標石。
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元興寺境内で万葉歌の旅を。
万葉歌碑
元興寺境内を散策していると … 岩に刻まれた万葉歌に出会いました。
旧高野街道沿いにある大神宮(だいじんぐう)です。
大神宮
旧高野街道沿いにある大神宮(だいじんぐう)です。
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伊勢本街道 行悦の道標右 いせ 左 はせ。
行悦の道標
伊勢本街道 行悦の道標右 いせ 左 はせ。
庚申塚なのか何なのかわからない単なる石。
庚申塚(薬王橋西詰)
庚申塚なのか何なのかわからない単なる石。
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綺麗にされておられます。
斉明天皇(皇極)越智崗上陵 拝所
綺麗にされておられます。
郵便局隣の石碑へようこそ。
天誅組風屋本陣跡碑
郵便局を目標にそのとなりの青空駐車場から入ると石碑が奥にあります。
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小学生だった頃、毎日この角を曲がって居ました。
村井家住宅
小学生だった頃、毎日この角を曲がって居ました。
平群町の梨本、道標を見つけて!
梨本の道標「左生駒/右松尾」
平群町の梨本にある道標です。
2mの櫓台と大堀切、歴史の舞台。
布施城 櫓台跡
高さ2m直径5m程度の櫓台であるが櫓台の直ぐ真後ろには大堀切が控えてあり土を盛ったと云うより削り残しの構造の様だ。
城山登山口すぐ南の坂道。
貝那木山城跡
民家の間の坂道から登る。
万葉歌碑(巻9-1680)
なんにもない。
国人大輪田氏の城館址を探訪!
大輪田城跡
国人大輪田氏の城館址、壕の痕跡は確認できる。
山の辺の道の歌碑、いつでも同じ場所で。
万葉集(⑳4319)歌碑・大伴家持
山の辺の道歌碑の向きが変わっていませんか。
明日の万葉文化館裏の庭園で、穴場かな。
石組方形池跡
明日の万葉文化館裏の庭園で、穴場かな?
斎藤拙堂 碑 月ヶ瀬月瀬
齋藤拙堂による「梅渓遊記」である。
近世の「上街道」の道標石。
石柱道標
近世の「上街道」の道標石。
謎に包まれた10m円墳、探検しよう!
御坊中1号墳
未調査の為、築造年代、埋葬施設等が不明の約10mの円墳。
神社近くの円墳古墳群探訪。
九品寺裏山古墳群
築造年代は不詳のようです。
古墳時代の神秘、径20メートルの円墳!
堀ノ内古墳(堂塚山)
古墳時代後期初頭頃の築造と見られる径約20メートルの円墳。
後ろの大きな木が驚きの樹!
林檎の樹
後ろの大きな木がリンゴの木と勘違いしてびっくりしました。
草ぼうぼうで特に何も無さそうでした。
郡山城 玄武曲輪跡
草ぼうぼうで特に何も無さそうでした。
住宅地に隠れた遺構の魅力。
上庄南城跡
住宅地となっていて、遺構は確認できません。
昭和31年まで、この地域は片桐村だった。
片桐村道路元標
昭和31年まで、この地域は片桐村だった。
古市陣屋で数あった土蔵で現存している唯一の物です。
藤堂藩古市陣屋勘定場土蔵跡
古市陣屋で数あった土蔵で現存している唯一の物です。
古墳らしさはない。
岩才池北古墳
古墳らしさはない。
創建当時(白鳳期)のものだそうです。
塔の大心礎
創建当時(白鳳期)のものだそうです。
堀や石垣の保存状態は良いと思います。
郡山城 内堀
堀や石垣の保存状態は良いと思います。
生駒山口神社鳥居横の橋のたもとで。
首なし地蔵(如来)
生駒山口神社の鳥居の前の櫟原川に架かる橋の横に安置されてます。
前方後円墳で歴史探索。
神明神社裏山古墳
後円部径28メートルの前方後円墳。
馬見丘陵公園内にあります。
一本松2号墳
馬見丘陵公園内にあります。
歴史の舞台、松永久秀の最前線!
宿院城跡
かつては松永久秀と三好三人衆が争った最前線でありました。
小さな林でとくに変わったものはありません。
垂仁天皇陵飛地ろ号
小さな林でとくに変わったものはありません。
左府とは藤原頼長のこと。
左府の森
左府とは藤原頼長のこと。
歴史を感じる特別な時間。
堂前城跡
歴史があります。
山辺御県坐神社の境内に在ります。
万葉歌碑(元明天皇)
山辺御県坐神社の境内に在ります。
大寺の餓鬼に思いを寄せて。
万葉歌碑(笠女郎)
笠女郎 万葉歌 揮毫:松井玲月(書家)「相思(あひおも)はぬ 人を思うふは 大寺の餓鬼の後(しりへ)に 額(ぬか)づくがごと」
竹藪を開拓して建てられた1件民家があるだけの寂しい...
古市廃寺
竹藪を開拓して建てられた1件民家があるだけの寂しい場所です。
完全に消滅していますが、地形に壕跡を感じれる。
箕山裏池外濠跡
完全に消滅していますが、地形に壕跡を感じれる。
桜花散り際、龍田山の息吹。
大伴家持の歌碑
私が帰る頃にはすっかり散ってしまっているだろうなあ。
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