勝尾寺旧参道、思いを馳せる道。
勝尾寺旧参道 一町石
積雪の急坂で危険なため一町石で引き返しました。
この道を参拝者が登って来て、この石碑を見てなにを思ったか。
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勝尾寺旧参道 二十七町石
納沙布岬に立つ柱本の英雄。
高槻名誉市民 高碕達之助 像
柱本の英雄です。
納沙布岬の傍らに建立されている。
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火袋の謎を解き明かそう!
信貴山道 四丁石
上部には元から火袋がなかったのか、欠損したのかは不明。
隠し文字を探して、てらまち散策の旅!
円教寺の蘇鉄
隠し文字が道路敷石に書かれいます。
岸和田城主小出播磨守秀政公(こいで ひでまさ)の菩提(ぼだい)寺として建立された円教寺。
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正法寺の北東部で歴史探訪!
樫井城跡
城跡碑、説明板は皆無。
円福寺の近くで新発見!
元円福寺
円福寺がこの場所にあったとは知りませんでした。
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高安城跡石碑
茨木市山手台の古墳、外から望む魅力。
安威1号墳
自由に出入りできないので外から望むだけです。
茨木市山手台にある古墳です。
大仁の町名を知る旅。
旧町名継承碑『大仁元町一丁目』
この地がこのような町名だったのですね…大は同じですが一帯は大仁だったのですね…かな。
火袋部の復活、期待大!
信貴山道 七丁石
火袋部欠損。
高安古墳群の厳かな雰囲気。
八尾市高安古墳群 服部川43号墳
雰囲気が厳かでした。
墓地の周りにいくつも古墳がある高安古墳群です。
玉祖神社の圧巻クスノキ。
玉祖神社の楠
パワーをもらえる感じです!
圧巻です!
火袋部を直して、安心を!
信貴山道 六丁石
火袋部欠損。
田中塊堂 歌碑
公園の静けさと共に、ひっそりと。
旧・町名継承碑『菅西町』
公園内入ったところにひっそりと建てられていました。
信貴山道の真ん中、廿一丁!
信貴山道 廿一丁石
朝護孫子寺へ至る信貴山道四十二丁の中間地点です。
桟橋から渡し舟で川遊び。
平田の渡跡[左岸]
スポーツにサイクリングに散歩に適した良い所です。
川に桟橋があって、渡し舟に乗った覚えがあります。
増長天の石蔵
北国分町旧跡
ニサンザイ古墳 説明銘板
階段付きの古墳、鉢伏山の歴史。
切戸1号墳
ご丁寧に階段が付いている古墳です。
鉢伏山の尾根上に位置します。
殿町の石碑が見守る、芥川氏の歴史。
芥川城跡(芥川氏居館跡)
石碑があるだけのようです。
遺構は何も残っておらず石碑のみだがこの辺りの地名が「殿町」となっていて地元住民に芥川氏が慕われてたことを窺わせるよなー。
河内鋳物師の地を散歩しよう!
鍋宮大明神
河内鋳物師集団の発祥の地を感じました。
いつもの散歩の途中にある。
駅からの道のり、冒険気分!
琵琶岸懸
入り口の藪をどなたかが切り開いてくれてまして中に入っていけました。
行って来ましたが駅側からは雑草が生い茂り前進に苦労。
保存状態抜群の町石展。
信貴山道 三丁石
松明を入れる火袋部が残る、保存状態が良い町石。
農人橋の祠で心安らぐ。
曲り淵地蔵尊
農人橋の西詰あたりにフェンスに囲まれて祠があります。
お地蔵さんに守ってもらう必要があります。
今井宗薫が残した歴史の跡地。
今井屋敷跡
織田信長の弟織田有楽斎(うらくさい)がここに屋敷を構えましたが後に今井宗薫が譲り受けました。
茶人今井宗久、宗薫の邸宅跡と伝わる。
小栗街道で古道を巡る。
小栗街道の石碑
小栗街道は熊野街道(古道)の一部をバイパス化した道となります。
岸和田中央広場公園で日向ぼっこ。
春木競馬場跡
だんじり でしたね 春木競馬🏇が まさか 中央広場公園に なっていたなんて‼️ ビックリ🫢だいぶ前に 廃止に なったのは 知っていましたが...
とても整備された公園ベンチが多くて日向ぼっこに最適競馬場の名残はほぼない。
おもいでの森で心に残る体験を。
おもいでの森
公園の中に「おもいでの森」と書かれた(彫られた)石碑が建っている。
わんぱく公園からの階段で発見!
壁泉
わんぱく公園から🛝階段をあがった所にある。
伏越樋(九左衛門樋)
白木古墳、隠れた宝探し!
白木古墳
、、一体どうやったらたどり着けるのか。
行ってみましたがなかなか分かりにくい場所です。
平尾山古墳群で歴史探訪を!
安堂第6支群3号墳石室(移築)
なんせ墳丘なしの移設なのでコメントの言葉も…。
安堂第6支群3号墳は平尾山古墳群を構成する古墳のひとつ。
名水巡りの一心寺公園へ。
玉手水旧跡石碑
住人が洒落で命名した」との説あり。
四恩学園西門前にぽつんと置かれている、この場所にあったかは不明。
玉造バス停そば、アクセス良好!
旧町名継承碑『山之内町』
バス停(玉造)のすぐ脇(西側)にあります。
長楽寺跡
平家物語の歌人、待宵小侍従。
待宵小侍従墓・顕彰碑
本線とPAへの道路の間にあったと聴きます。
少し行くのに、分かりずらかったです。
幕末の力比べ、石で挑戦!
力石
幕末から明治・大正期に若者が力比べの余興や、訓練の用具として用いられました。
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