平安の女性貴族の墓、歴史の魅力満載!
宮道朝臣列子墓(宮道古墳)の特徴
平安時代の貴族・烈子の霊廟がここにあります。
宮道古墳は中臣十三塚の重要な一つです。
醍醐天皇の外祖母のお墓として歴史的価値があります。
宮道列子(たまこ)の墓つまり中臣十三塚の一つ宮道古墳ですね。列子は、藤原高藤の妻でも有り、宇多天皇の皇后となった胤子の生母で有り、その胤子が醍醐天皇を生んだ事で、列子は天皇の外祖母に。結果 宮道家も大いに繁栄した様で父の居宅は高藤により仏寺(勧修寺)となり宮道神社も造られた。余談ですが。
宮道弥益(ミヤジノイヤマス)の娘が烈子(レッシ)。「今昔物語」によると藤原冬嗣の孫の高藤が鷹狩りに出かけ悪天候で帰れず一夜の宿を請うたのが弥益邸。出会った烈子と15~6の高藤はごちゃごちゃと。無断外泊をした高藤は遠出を禁じられ烈子と再会したのが6年後。娘の胤子(インシ)と烈子を自宅に引き取った。後に胤子と宇多天皇との子が醍醐天皇となる。
| 名前 |
宮道朝臣列子墓(宮道古墳) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ya005.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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平安時代の女性貴族で、第60代天皇・醍醐天皇(897年即位)の外祖母のお墓です。恋話の逸話が残る少女雑誌の主人公のような方です。周囲には綺麗な花々が咲いています。1100年忌として、平成19年(2007)10月16日に藤原北家の末裔と宮道神社の信徒らによって供養塔となる五輪塔が建てられたようです。