歴史深い天智天皇の陵へ!
天智天皇 山科陵(御廟野古墳)の特徴
天智天皇のお墓であり、歴史を感じる特別な場所です。
終末期古墳として知られる重要な文化遺産があります。
御陵駅から徒歩10分とアクセスが便利です。
飛鳥から大津京に遷都した天智天皇が被葬者とされる終末期古墳。天智天皇の時代に、限られた人にしか造営されなかった貴重な八角墳であるのも、納得、なんといっても、あの天智天皇だから。
天智天皇は別名中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)といわれ、、歴史に通じた人であれば名のしれた人物だ。こじんまりとしているが雰囲気があり、質素な参道もある。ただ屋根がないところが続くので、雨天の場合は注意が必要だ。地下鉄の駅からもそれほど歩かずに到達できる。お墓自体は宮内庁で管理している旨の看板などがある。
天智天皇 山科陵には、駐車場はありません。近くに数カ所ある時間貸制コインパーキングに駐車するか、(休日や連休、近くの住宅で工事があると、満車になる事があります。)京都市交通局 地下鉄東西線、京阪電鉄 京津線、京阪バスなどの公共交通機関で訪れてください。春の桜、秋の紅葉の季節になると、訪ねて来られる観光客を見かけるようになります。散歩している方と、観光客の方を少し見かけるくらいで、京都市内の有名観光地のように、混雑はしていません。ゆったりと歩くことが出来ると思います。参道に街灯が無いので、秋から冬の季節は、日没後の午後5時ごろを過ぎると、参道が真っ暗になります。早めに参拝される方が安全だと思います。
蹴上インクラインを観た後、地下鉄に乗ったら次は御陵駅という、固有名詞も付けず御陵駅とは、ビッグネームの予感がして途中下車。たどり着いたら天智天皇陵え?ここなの?と思いました。てっきり宇治に木幡という地名があったのでそこに沓塚があって陵もそこにあると思っていたので意外でした。まぁそんなに離れているわけでもないのでそういうことなのでしょう。名に恥じぬ広大で立派な陵で人も少なく厳かな場所でオススメですね。天智天皇と言ってもピンと来ない人もいるかも知れませんが乙巳の変に端を発する大化の改新の中心人物、中大兄皇子のことです。中央集権を進め現代へ続く王権の確立を図った功績は偉大ですが、白村江の戦で敗北し、反撃を恐れ、大津に引きこもって最期は行方不明という何ともぼんやりした終わり方でかろうじて陵は逢坂山の西側と言うことで、当時は京の都もなく、完全にど田舎にぽつんと陵が定められて、寂しい思いをされたでしょうが、よくいう時代が早すぎたと思えば、後に都がやって来たので、一寸俺ってカッコいい?って感じでよろしいのではないでしょうか。
御陵駅から徒歩10分。へぇ~天智天皇の陵墓だって…中大兄皇子と呼ばれた皇子時代に中臣鎌足らと一緒になって、天皇が持つべき権力を我が物にしていた豪族の蘇我氏を滅ぼし、再び権力を天皇に取り戻した「大化の改新」の主人公じゃないの ?ただ眺めるだけですが、天皇のお墓はどこも良く手入れされていて、地元の人のお散歩コースだな✨
名前 |
天智天皇 山科陵(御廟野古墳) |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-541-2331 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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天智天皇のお墓。広々としており、週末ではありつつも静かな空気感でした。