承久の乱の歴史が息づく、後鳥羽天皇の陵。
後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵の特徴
承久の乱で有名な後鳥羽天皇の陵墓です。
第82代後鳥羽天皇と第84代順徳天皇を祀っています。
元は平安朝廷の牧場地であった広い大原に位置しています。
承久の乱で隠岐の島と佐渡に流された上皇たちの陵墓です。
三千院の前を通り過ぎ、橋を超すとすぐ右手に入り口があります後鳥羽天皇と順徳天皇が祀られています。
第82代後鳥羽天皇と第84代順徳天皇の陵です。鞍馬寺~貴船神社~三千院を経由して歩いて参拝しました。帰りは阪急河原町まで歩きました。
ここ大原は、元は平安朝廷の馬を飼育する広い牧場地であった。また比叡山の僧たちの隠棲地でもあり、彼らのもとに、多くの文人、歌人が訪れている。紀貫之、和泉式部、式子内親王、藤原定家、西行らも籠っていた。また建礼門院(高倉天皇の皇后)が閑居するなど平家一門と時の天皇家とも繋がりが深かかった。その為、平安時代の終焉と共に後鳥羽院、順徳院の陵として選定されたのである。
三千院から宝泉院に歩いている途中、右手側にあります。入り口に宮内庁とあるので、これはなんぞや!?と思い中に入らせていただきました。無料です。厳かな雰囲気で、空気の流れがここだけ異なっているように感じました。
承久の乱で有名な後鳥羽天皇、順徳天皇の陵墓。三千院を左に進むとすぐです。二人とも敗戦により後鳥羽上皇は(のちに法皇)隠岐島、順徳上皇は佐渡島に配流され、その子の仲恭天皇もわずか在位78日(歴代最短)で廃されることになり、鎌倉幕府の権力拡大だけでなく、武士の時代への転換点となった。後鳥羽天皇は源平の争いの中で翻弄された皇室の復権に人一倍強い思いがあったのではないだろうか。また壇ノ浦で失われた三種の神器の一つである宝剣なく即位したことへの後ろめたさもあったかもしれない。ちなみに皇室の紋である菊紋は後鳥羽天皇から初まったらしいです。
名前 |
後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-541-2331 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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雪の日にたまたま通りかかりました。