緑区の隠れ家、ごはん塚。
ごはん塚(緑区遺産)の特徴
鶴ヶ峰から鴨居へ抜ける農道の丘陵地に立地します。
鎌倉時代初期に作られた歴史的な塚です。
わかりにくい場所に位置するため、訪れるのが新鮮です。
ごはん塚のごはんの意味が書いてあると良かったかなと思います。
鶴ヶ峰から鴨居に抜ける細い農道を抜けた丘陵地の頂上にある鎌倉時代初期に作られた塚。横浜市緑区の遺産指定されています。畠山重忠の軍勢と北条義時率いる鎌倉勢が戦った二俣川の戦いにおいて、畠山重忠が討ち取られた後、雑兵たちが根拠地である現在の埼玉県深谷方面へ逃げる際に、鎌倉勢による落ち武者狩りに合い討ち取られてしまった。遺体は放置され、動物の餌になりかけていたのを不憫に思った村人達が5つの塚を作り葬った。そのうちの一つがこの「ごはん塚」。と言っても本来その5つが揃って「ごはん塚」と言っていたようであるが、宅地や農地の造成で1つ消え2つ消え…残るはこの塚のみとなっている。名前の由来はご飯時に討ち取られたから、塚が茶碗を伏せたような形をしていたから、討ち取られたのが5人で5つの塚があったから…等などあります。塚からは丹沢から続く山塊がずっと多摩、秩父へと続きずっと向こうで平野に向かって落ち込んでいるのが見えました。その辺りがここで討ち取られた者達の出身地の筈です。きっと討ち取られた者達は、真っ当な武士階級ではなく、普段は畑を耕す農民だったんだろうなぁ…。大将を討ち取られ、自分を待つ家族の元へとにかく一生懸命逃げていたんだろうな…。当時この辺りは森だったかもしれないですが、名を残すことも出来ず討ち取られる直前にあの山々の先にある我が家を見て亡くなったのかなぁ…と思うと800年以上前の事とは言え凄くやるせない気持ちになってしまいました。大河ドラマ(「鎌倉殿の13人」)には描かれない、本当の「二俣川の戦い」の爪痕を感じられます。塚は思いっきり農地のど真ん中にあります。なので訪れるなら、塚の前の閉まっている門を左に回り込んで入るのが正解だそうです。緑区のHPにそう書いてありました。
どこから入るのかが分からない。何とかして欲しい。入れない私有地内にあるのでしょうか?
わかりにくい場所でしかも立ち入り禁止??私はたまたま畑の人とお話ができて場所案内してもらえました。
石碑は周りを私有地(畑)で囲まれて近づけません。入ると不法侵入者になりそうです。
名前 |
ごはん塚(緑区遺産) |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-930-2219 |
住所 |
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評価 |
3.0 |
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右に緑区の街並みを見ながら、左の脇道に入るとゲートがあります。ゲートの脇から歩行者のみ中に入れます。高台にあるため眺めは抜群です。シンボルの青い煙突は、都筑清掃工場です。本当に天気が良い時のみ、遠く赤城山を望むこともできます。現場の道は非常に狭く、車と歩行者のすれ違いができません。車では来ないでください。