等々力渓谷の中の巨大古墳。
野毛大塚古墳の特徴
5世紀に築造された帆立貝形前方後円墳で、関東の中期古墳文化の象徴です。
玉川野毛町公園内に位置し、自然と調和した環境で楽しめる場所です。
高台にあり見晴らしが良く、特に子供連れの家族に人気のスポットです。
野毛大塚古墳は、五世紀前半に築造された関東地方の中期古墳文化を代表する古墳で、有力な首長墓と見做され、東京都の史跡に指定されています。甲冑、刀剣、銅鏡、玉類などが出土したそうです。この付近では最大の古墳で、全長82m、後円部の高さ10mの前方後円墳で、周濠を含めた全長は104mもあります。古墳下に説明板と「都史跡 野毛大塚古墳」と刻まれた石柱があります。円形の古墳には石段が設置され、上ることができます。古墳上部は円形の広場で、下方の子ども広場や野球場などの景観を眺めることができます。10月末の土曜日、子供達が古墳に上り下りしていました。チビッ子達にとって、野毛大塚古墳は眺めが良くて楽しく遊べる小山といった感じなのでしょう。
公園の中にある古墳です。5世紀前半頃の、前方後円墳よりちょっと前方部が短い帆立貝型古墳で、住宅街の中の玉川野毛台公園の中に鎮座しています。前方部の周りでは子どもたちが遊んでいますが、後円部は段丘もきちんと整備されています。昔はゴルフコースの中に組み込まれて「等々力ゴルフリンクス古墳」と呼ばれていたとも、明治の頃に盗掘しようとした青年が祟りで亡くなったとも言われる、何かと逸話には事欠かない場所です。現在登頂は可能ですが、基本的には都の条例で保護されているため、ロープ外の場所には立ち入るべきではないでしょう。
子供で賑わっており、ゆっくり過ごせる公園でした。古墳の上にも登れるので是非。
公園の中に自然と馴染んでいる古墳ですが作りはしっかりしていて良い古墳でした。
等々力渓谷の近くの公園にある古墳。気軽に登れるのはありがたく楽しいです。
野毛大塚古墳(のげおおつかこふん)野毛大塚古墳は5世紀初めに造られた全国でも最大級の帆立貝式(ほたてがいしき)前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。墳丘(ふんきゅう)の全長は約82mで、後円部(こうえんぶ)は直径が約68m、高さ約10m、前方部(ぜんぽうぶ)は前端の幅約28m、高さ約2mで、後円部に比べて極端に小さく、低いことが特徴です。また、前方部のすぐ脇には長さ、幅とも約10m、高さ約1mの造出部(つくりだしぶ)と呼ばれる小さな方形部分が付設されています。さらに、古墳の周囲は最大幅約13m、深さ約2mの空堀(からぼり)で馬蹄形に囲まれています。墳丘は平坦な地面に盛土をして築かれていて、 前方部は1段、後円部は3段になっています。また、その表面はすべて多摩川の河原石を使った葺石(ふきいし)で覆われています。幅約3mのテラス(平坦な部分)と後円部および前方部の頂上には、円筒埴輪(はにわ)と朝顔形円筒埴輪による埴輪列が、造出部には柵(さく)形埴輪がそれぞれ1重に巡っています。この他には家、盾(たて)、鶏(にわとり)などの器物や動物などをかたどった形象(けいしょう)埴輪が置かれています。また、濠の中からは、本来は墳丘の上に立てられていた埴輪や、祭りに使われた高坏(たかつき)などの土器(土師器(はじき))が出土しました。世田谷区教育委員会。
5世紀初頭に築かれた大型の帆立貝形古墳です。これは、前方後円墳なのですが、前方部が矮小化している為に、そのように呼ばれています。墳丘の全長82m、後円部直径68m、高さ11m、前方部長19m、最大幅28m、クビレ部幅20m、高さ2m。周囲には馬蹄形の周濠がめぐり、周濠を含めて全長104mの日本でも三番目の規模です。ここからの出土品は東京国立博物館と世田谷区が所蔵し、何れも国の重要文化財。この古墳自体も都の史跡に指定されています。
2022年2月玉川野毛町公園内にある古墳です。丘のようになっていて登ることができます。上には発掘された時の人骨、副葬品がどのように置かれていたのか判るように表示されています。高台になっているので公園を一望でき気持ちが良いです。
復元整備された 帆立貝形古墳。
名前 |
野毛大塚古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5432-2726 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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等々力渓谷を散歩していたところ、案内板に誘われて階段を上がるとありました。埴輪の装飾や墓室なども再現されており、本格的です。