三木城を守った 土塁の歴史体験。
三木合戦の際、三木城に兵糧が運び込まれないよう、三木城南側には、這田村法界寺山ノ上付城を起点とし、宿原城までの約5.5キロメートルに及び、複数の付城と多重土塁を廻らせて、敵兵が入り込むすきがないよう包囲網を敷いた。これは、毛利軍が明石から陸路で兵糧等物資を三木城に運び込むのを阻止することを目的とした。この朝日ヶ丘土塁は、這田村法界寺山ノ上付城と高木大塚城間に構築された多重土塁です。現在でも、その土塁の一部を確認することができます。
名前 |
朝日ヶ丘土塁跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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法界寺山ノ上付城と高木大塚城の間を結ぶ土塁。