梅満開、静かな古刹での御朱印巡り。
東福寺の特徴
鶴見七福神のひとつ、急坂を登った静かな古刹です。
玉川八十八ヶ所霊場の第10番札所として知られています。
真言宗智山派に属し、京都市の総本山と関連があります。
梅も満開で静かな古刹でした。
鶴見七福神のひとつ、鶴見駅から少し歩いたところにあり地図がないとわかりにくい場所にある、かなり急な坂を登った先にある。無料駐車場あり、御朱印を頂いた。
先日参拝し、ご本尊の御朱印を直書きで拝受しました。沢山の霊場を兼務されています。最寄り駅は、京急線花月総持寺です。
バス停の由来になってるお寺。東福寺前。
小机三十三観音御開帳ロードバイクにて御朱印巡り。第十番子育観音の御朱印をいただきました。自分は、観音霊場巡りでは、十一面観音、聖観音、如意輪観音菩薩などのお寺が多いと思いますが、こちらのお寺では、子育観音菩薩が祀られて、珍しい観音様だと思いました。
小さな杜に囲まれた静かなお寺。本堂と大師堂がある。子育て観音像もあり。写経を心経塔に納めてくれる。
子生山東福寺(こいけさん_とうふくじ)は真言宗智山派の寺院で総本山は京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)です。川崎大師や高尾山薬王院、成田山新勝寺は大本山になります。 東福寺参道入口には庚申塔が集積されています。これは街道筋にあった庚申塔(塚)が明治政府によって破棄されるのを防ぐ目的で庚申信仰の住民が寺院敷地内に移転を行ったものです。道をはさんだ向いには鶴見最古(地元の方の話し)の大樹「タブノキ」がそびえています。墓地の入口には葬頭河婆(そうずがのばあ)様と六地蔵菩薩様が並んでいます。婆様は目・鼻・口・耳の病気に効力ありと元文元年(1763年)より伝えられています。墓地の入口が開いているとお参りできます。 山門左側には子育観音の碑があり、子育てにまつわる寺院である事を暗示しています。山門には阿吽(あうん)の仁王像が睨みを効かせて結界をつくっています。参道の階段途中には石灯籠があり鹿の彫刻を確認できます。本堂の左側には弘法大師の尊像があります。子育観世音様、慈悲観音様、疣(いぼ)取り地蔵尊にもお会いできます。その他、大師堂や心経塔も並んでいます。芭蕉句碑には雅号ではなく芭蕉翁と刻まれています。 本尊は如意輪観音菩薩(にょいりん_かんのん_ぼさつ)様で腕が6本あり、六道すべてで衆生を救い、煩悩を鎮め、功徳を施します。手には如意宝珠(にょいほうじゅ)と法輪を持ち福徳を与え、危難を除去します。如意輪観世音(にょいりん_かんぜおん)菩薩様とも呼ばれます。真言は「オン_バラダハンドメイ_ウン」等です。 平安後期、豪族の稲毛三郎重成が子の誕生を如意輪観世音様に祈って子を得た事から「子安山植本院」と称する。さらに霊験が著しいとの評判が広がり、第73代堀河天皇が当山にて皇子の誕生を祈願、3年後にのちの鳥羽天皇が誕生した事から堀河天皇より「子生山東福寺」の号を賜りました。その後は隆盛であった東福寺も安政の大地震や台風、火災等で本尊を除くその多くを消失していますが、求子願、子育の祈願は変わらずの福徳があります。 現在の本堂は大正3年(1914年)8月の再建で上を眺めますと木鼻が阿吽の獅子と獏で、蟇股(かえるまた)は波と鳥、その他は波形の彫刻がちりばめられています。木組みも見映えする形です。 ***毘沙門天は武田信玄・上杉謙信の時代には軍神として、庶民は財神として現在も信仰されています。帝釈天の部下として人々に福徳を与えますが、自己の幸福のみを願っても授けられません。周りが不幸なのに自分だけ幸福というのは有り得ない。自分も他人も幸福になるのが毘沙門天の功徳です。真言は「ノウマクサマンダ_ボダナン_ベイシラ_マンダヤ_ソワカ」です。唱えて合掌します*** 評価4なのは、参道の樹木が伐採されている事と花月園側の景観が工事中でよろしくない為です。
落ち着いた場所です。
真言宗智山派の寺院。御本尊は如意輪觀世音菩薩の木立像。鶴見七福神のうち毘沙門天も祀られています。この寺院の裏手には昭和21年まで花月園遊園地があり、戦中は大相撲の花月園場所が開催されており、傷痍軍人の方々が招待されていました。この18年秋場所では双葉山と前田山の対戦があり、双葉山は前田山の強烈な張り手を顔面に受けていました。花月園遊園地には戦時中、高射砲陣地があったため、東福寺も大変だったと思います。
名前 |
東福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-581-5066 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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玉川八十八ヵ所霊場、武相不動尊二十八霊場、旧小机領三十三子歳観音霊場、東海三十三観音霊場の参拝でそれぞれ別の日にお伺いしました。真言宗智山派のお寺で正式なお寺のお名前は、子生山植本院東福寺といいます。応徳四年(1087年)に理源大師の法孫である山城国醍醐三寶院の勝覺僧正(大治四年:1129年寂)の霊夢により、生麦浦より御本尊の「如意輪観世音菩薩」を得てこの地に創建されたお寺で鶴見で一番古いお寺です。東福寺の観音堂は松平定信公や備前少将治政公・出雲少将治郷公などからも扁額の書を寄せられています。玉川霊場の御本尊は如意輪観世音菩薩で霊場第十番札所、武相不動霊場の御本尊は不動明王で霊場第二十番札所、旧小机領霊場の御本尊は子育観世音菩薩(如意輪観世音菩薩は別?、山門横に子育観音碑があります)で霊場第十番札所、東海観音霊場の御本尊は十一面観世音菩薩で霊場第十四番札所になります。