秀吉の本陣、三木城の魅力。
高木大塚城跡の特徴
三木城の包囲に用いられた付城跡が魅力です。
羽柴秀吉が本陣を置いた歴史的な場所です。
良好に保存された城跡が訪問者を魅了しています。
極めて良い城跡であると厳しく断定する。遺構の残存度が非常に高い城跡。丁寧な説明板と資料が据付されてあるのでありがたい。枡形虎口、虎口、土塁、櫓台?などの遺構が残っており変わった形の曲輪なのでなかなか興味深かった。駐車場は付近には無いものの、いやはやなかなかどうしてどうしてオススメの城跡である。
三木城の兵糧攻めに際し造られた30余りの付城の一つでここを任された将は不明ですが、秀吉配下で信頼のある武将が任されていたのではないかと想像します。当時の物流輸送路に置かれた出城ではあるのですが、古墳の盛土を利用した櫓台を中心に土塁が築かれたその姿は城というより砦のような姿だったのかと思われます。現在も櫓台と土塁が思った以上に原形を留めています。付近に駐車できる場所はありませんが、この城についての説明板がある付近の路肩に短時間のみ車を止めて見ることは可能でした。城の名の由来が中央になる櫓が大きな古墳(塚)で大塚城と呼ばれているとのことですが分布図などの正規な名称は高木大塚城となっています。
名前 |
高木大塚城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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三木合戦の際、羽柴秀吉は平井山に本陣を置き、三木城を包囲するため、周囲に30余りの付城を築いたとされます。そのうちの一つがこの高木大塚城です。籠城する別所長治の三木城に兵糧等の物資が入らないよう見張っていたようです。ただ、籠城の初期は、三木城への兵糧は美嚢川を船で上がり、川岸の穴から城内の井戸に繋がる抜け穴を通って運び込まれていました。だた、長くは続かず秀吉軍に見破られた後は、毛利軍は、明石から陸路で兵糧等物資を運び込むことになります。そこで、這田村法界寺山ノ上付城を起点として、宿原城までの約5.5キロメートルに及ぶ明石からの物資を遮断するため、複数の付城と多重土塁を張り巡らして包囲網を敷き、敵の入る余地を無くした。この高木大塚城もそのうちの一部であったようです。