常立寺の元使塚で心癒される。
常立寺にある元使塚。鎌倉時代に龍ノ口で処刑された元の5人の使者を供養するために大正時代に建てられました。最初の元寇である文永の役で自国の力を見せつけた元皇帝フビライ・ハンは日本に服属するよう使者を送りました。しかし鎌倉幕府執権北条時宗は徹底抗戦の姿勢で来日した使者達は捕らえられて鎌倉に送られ龍ノ口で処刑されました。これが2度目の元寇である弘安の役のきっかけとも言われています。処刑されたのは正使のモンゴル族杜世忠、副使の漢族何文著、他にウイグル族2人と高麗人の5名。処刑される前に杜世忠は栄達を果たして家族のもとに返る望みを果たせなかった無念さを読んだ詩を残しています。元使塚にある5人を祀る供養塔にはモンゴルで英雄の意味がある青い色の布が巻かれています。藤沢巡業に来たモンゴル人力士がここへ参拝に来るそうです。
名前 |
元使塚 |
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ジャンル |
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住所 |
〒251-0032 神奈川県藤沢市片瀬3丁目14−48 常立寺のしだれ梅 |
評価 |
4.5 |
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常立寺(じょうりゅうじ)は、日蓮宗のお寺です。処刑場が龍口寺の入口西側、埋葬地は常立寺との説があります。常立寺の元使塚は元国(蒙古)の使者として日本に派遣され、龍ノ口で処刑された杜世忠ら5人の供養塚です。杜世忠らは、文永の役(蒙古襲来)があった翌年の建治元年(1275)、日本に服属を求めるため長門国室津に上陸しました。しかし、捕えられて太宰府に送られた後、八代執権北条時宗の命により龍ノ口で処刑されました。処刑された者たちを弔うため「誰姿森(たがすのもり)」と呼ばれる龍口寺の隣接地に埋葬され、「面影塚(おもかげづか)」を作り供養塔を立てました。ここに真言宗の回向院利生寺と称した寺が創建されたのが常立寺のはじまりです。その後利生寺は享禄5年(1532)に妙光山法華寺(現円融寺)7世日豪により日蓮宗へと改宗し常立寺と改称しました。