スポンサードリンク
スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
馬塚 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
寛永5年、鳥取藩主であった池田光政は、本多忠刻の娘勝子(勝姫)を正室に迎えた。勝姫の母は千姫、祖父は将軍徳川秀忠であったため、豪華な輿入れの引き出物の中に、名馬「東雲号」(しののめごう)があった。寛永9年、光政が岡山藩に国替えとなった時、家老池田長明の家臣に名騎手がいたので、東雲号は長明の陣屋があるここ周匝(すさい)に預けられた。将軍からの拝領馬は大切に育てられたが、年老いて死んだので、登城口の谷に立派な馬塚を建てて祀った。昭和の初め頃まで礎石などが残っていたようだが、現在は跡形もなく、平成4年に建てられた小さな碑だけがひっそりと佇んでいる。