歴史の深見城、自然に囲まれて。
深見城の特徴
境川河畔に位置し、急崖を背にした天然の要害が魅力です。
14世紀末から16世紀代にかけて利用されていた歴史深い城跡です。
南側から東側にかけての縄張りの技巧さが圧巻と評判です。
境川河畔の急崖を背に、天然の要害を形成する台地上に築かれた城跡。発掘調査によれば、14世紀から16世紀(室町時代から戦国時代)の年代幅にあることがわかったらしい。本丸まわりは二重の堀跡があり、東西に虎口、天竺坂と名付けられた道は大規模な堀底だったよう。鬱蒼としていて、分かりづらいが、かえってそれが、想像をかきたてられる。
ちょっとした散歩には良い。お店や休憩するベンチ等はありません。小さな虫や蜘蛛の巣が有るので嫌いな人は向かないと思います。駐車場もありません。
国道246号が近くを通る住宅街の中にある城跡で、大和市によって深見歴史の森として一帯の森林は保護されています。小規模な城ですが空堀、土塁はしっかりと残っています。交通量の多い国道の雑踏と森の静寂のギャップは不思議な空間を醸し出しています。天竺坂という古道が城跡の横を通っていて、ここでの一番の見所となっています。
神奈川県の市街地でこれほど土塁、空堀が良く残っている深見城は素晴らしい!
築城・廃城期は不明であったが、発掘調査によって14世紀末頃から15世紀中頃と、16世紀代の2時期の利用が考えられるという。享徳4年(1452年)という説もある城主については隣接する瀬谷の領主山田伊賀守経光などの諸説がある。一部立ち入り禁止区域もあり遺構は見えない箇所もありますが、土塁や虎口が確認できます。
あまり城跡感はないのと手入れがされておらず藪が多いので、よほどの山城マニアしか楽しめないかも。
Googlemapには2つの深見城跡が表示されています。こちらは舗装道路沿いに簡易な柵で囲い、説明看板もあるので、市教育委員会公認の城跡だと思います。柵のなかは木々が生い茂っていますが人の通った踏み跡があり(本来は立ち入り禁止かと…)、すぐに開けた「らしい」所にたどり着きます。ここには説明看板の類いはありません。城跡横には天竺坂(鎌倉·藤沢宿に向かう古道)もあり、ちょっとしたロマン?も感じられます。
こちらが正しい深見城跡です。境川側以外の三方に横矢折れの効いた土塁、空堀を持つ主郭と同じく堀(一部土塁残存)を持つ馬出状の複雑な形の外郭が残っています。
深見城の詳細は不明です。江戸時代に編纂された『新編武蔵国風土記稿』によれば藤原氏の末裔といわれる山田伊賀守経光によって築かれたとされますが、定かではありません。1984年(昭和59年)から1986年(昭和61年)におこなわれた発掘調査の結果、使用年代は14世紀末~16世紀末と推定されること、城郭の構造から16世紀戦国時代の築城であることが判明しました。現在城址周辺は「深見歴史の森」として整備されており、土塁や空堀などの遺構が良好な状態で残っています。築城開始・完了年t着工 1452年(宝徳4年)頃。
名前 |
深見城 |
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ジャンル |
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電話番号 |
046-260-5451 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
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