創造の森で歴史散歩を。
川尻城址の特徴
小さな案内看板が目立たないので、注意が必要です。
整備された公園の遊歩道が散歩に最適と好評です。
奥平貞俊が築城した歴史を感じられる場所です。
駐車場🅿️、遊歩道、主郭に説明板🪧と公園整備されてる土塁♬が主郭と一段下がった曲輪に残ってる間に堀切♪が ザックリ見える帯郭ぐるりは遊歩道になってた散歩に良さげなトコロ🏃
新城市作手歴史民俗資料館のジオラマを見て、縄張り図をもらってから現地に向かうとより楽しめます。駐車場や道順も、親切にこちらで教えていただけました。主郭、土塁、門を見ることができます。堀も有るようですが私はわかりませんでした。散歩感覚でまわれます。特に体力は無くても大丈夫です。御城印は、「新城市作手歴史民俗資料館」で購入できます。
奥平貞俊が天授年間(1375~80)に群馬県吉井郡から来て、応永31年(1424年)に築城したが、手狭なため亀山城に移りました。現在は公園になっており土塁らしきものはありましたがそれ以外はないように思えます。本丸があった場所には忠魂碑が立っています。
奥平貞俊築城、その後亀山城に移った。主郭の中央に説明板、標識あり。東、北面に土塁あります。また北方に堀切、先に曲輪あり。
平成の初め頃整備された城山一帯の公園で、創造の森城山公園と名付けられてました。室町年間に築城されたとされる川尻城は、作手の道の駅近くの亀山城へ移転するまでの奥平氏の拠点だったとあります。山頂には川尻城址の看板と案内板はありますが、本丸の面影はあまりなく太平洋戦争後の忠魂碑と戦没された?兵隊さん方の記念碑が整然と並んだ慰霊の場でした。おそらくこの作手地区から出征された方々の記念碑なのでしょう。広々と綺麗に整備された広場で気持ちよく慰霊できました。この城山公園一帯は湿地帯のようで、小さな湿原が天然の堀のように囲まれていたことが想像できます。一周ぐるっと回ってみましたが、301号から入ってすぐ林道になり、整備されたビオトープ風の湿原を見ながら住宅地区へ抜ける散策路になってました。散策路を抜けて食堂近くのお地蔵さん密集地の手前を登っていくと冠木門があり本丸へ上がれますが、非常に細く、舗装路は苔むしているので車は注意して上がりましょう。この城山の南へ続く文殊山城址、古宮城址、亀山城址ともども作手の城は面白いです。
細い道を進み、山の裏の方に広い駐車場あります。上の方はお城の雰囲気はあまり感じず、戦没者の慰霊碑が沢山ありました。小さな作手村でもこんなにも多くの方が戦死されたのかと胸が痛みます。山の上にトイレもあり、キレイです。きちんと清掃されています。
名前 |
川尻城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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小さな案内看板が出ているのですが、見落としやすいです。僕もきっちり、見過ごしましたwww細い道が続いていて、どこまで、行けるんだろう?という感じだったのですが、城郭のあたりまで、バイクで行ってしまいました。よかったのかなぁ・・・???