外国人墓地の歴史、山手散策。
横浜外国人墓地の特徴
明治の日本の西洋化に貢献した外国人たちが埋葬されています。
横浜にある外国人墓地の中で最大の規模を誇ります。
海の見える丘公園から徒歩1分の好立地に位置しています。
🏣神奈川県横浜市中区山手96🅿️🚗…有りません🚏🚌…海の見える丘公園下車徒歩1分※開門時間9時~17時※ペリー二度目の来航(ミシシッピ-号)の時にマストから転落死した二等水兵さんを山手のお寺に埋葬した事が、外人墓地の始まりだそうです。その後幕府は無償で土地を提供し外人専用の墓地が出来た。墓地の正門はアメリカ人建築家のJHモーガン作だそうです。※埋葬者には日本の鉄道の基礎を築いたエドモンド.モレルやフェリス女学院大学創設者のミス.ギダー女史等々。
明治の日本の西洋化に尽くした外国人を埋葬する墓地。40カ国4200柱の先人達が眠ります。普段は非公開ですが、年に数回有料で公開日あり。入口付近に資料館があり外国人墓地や明治の横浜に関する展示が無料で観覧できます。
元町公園とアメリカ山公園の間にひろがっています。日本の近代化に貢献された多くの外国人が眠っている場所です。入口を入って右手に資料館があり、埋葬されている方のことについて知ることができます。通常は墓地は一般公開されていませんが、毎年2月から7月末、9月から12月末の土日祝日に一般公開されています。ここは市や国の管理下にはないため、一般公開では、墓地の維持管理のための募金(一口500円から)をしてからの入場になります。墓地内は反時計回りに見学するようになっており、一周するのはだいたい15分くらいです。
横浜にある4つの外国人墓地の中では埋葬者数、墓域ともに最大で、他の墓地と違って観光資源にもなっている。観光と言っても厳重に管理されており、基本的に土日以外は非公開。日本の近代化に貢献した多数の外国人が眠っていて、フェリスや横浜共立の創設者も名を連ねるが、変わり種は初代快楽亭ブラック。明治の落語界で絶大な人気を誇った。アメリカの要求で幕末に山手の丘陵の斜面に作られた墓地が起源で、その後何千人もの外国人の永眠の地となった。元来は真言宗の名刹増徳院の墓地だったという。
横浜山手地区の代表する観光名称。19世紀~20世紀半ばにかけて、40ヵ国余り4400人余りの外国人の方々が葬られ眠る場所。歴史は1854年(嘉永7年)日本に2度目来航した。マシュー・カルブレイズ・ペリー、アメリカ海軍東インド艦隊司令・海軍代将の部下だった水兵ロバート・ウィリアムズ(享年24歳)がフルゲート艦ミシシッピのマストから誤って海中に転落し死亡しました。彼の埋葬場所として、時の江戸幕府に「海の見える場所に、彼を葬りたい」というペリーの要求に沿うように、真言宗増総院の境内にロバート・ウィリアムズの墓が作られたのが、今日の外国人墓地の始まりと言われています。それ以降、外国人の死者がその付近に葬られるようになりました。1861年(文久元年)に外国人専用の墓地として定められました。外国人墓地へのアクセスJR京浜東北線、根岸線で石川町駅より徒歩10分みなとみらい線、元町・中華街駅より徒歩3分です。
名前 |
横浜外国人墓地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-622-1311 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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こちらは2024年06月16日の訪問となります。横浜に三ヶ所ある(外国人墓地の)中の山手のものです。元々ここらに増徳院という寺があり、船で転落死した海軍水兵を米国の要求で埋葬、その数年後に外国人墓地を建てたそうですね。内部は基本非公開ですが3~12月の土日は公開されているらしいです。一世紀近くに実に4400人余りの方が葬られているとか。